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2014年3月13日 (木)

天神信仰(2)

天神信仰について(2)

1、天神信仰の大前提・・・浄蔵の果たした役割(2)

 鬼神を操って冥界のことにも明るい清行は、即座に理解し、浄蔵に時平邸からの退出を命じ、自分みずからも退出したのだが、まもなく時平の命は絶えたという。
そして道真の怨念の言葉に、一連の事態の真実を悟った清行・浄蔵親子はそれ以上、道真の怨霊を鎮めることをあきらめ、時平の屋敷を辞してしまいます。

その後、ほどな くして時平は39歳の若さで息を引き取ったのでした。 清行は道真のライバルでありながらも、昌泰3年(900)には道真に対して書を送り右大臣を辞するように忠告を促し、後の左遷を回避させようともしていたという間柄。ちょうどこの浄蔵の加持祈祷の際にも、道真の霊が清行に対して、その時の助言に対する礼を述べるという出来事もあったのだとか。

 時平の命を奪った道真の霊は、その後ますます激しさを加え、時平の子孫たちを次々と死に追いやり、遂に923年、醍醐天皇の皇太子の命まで奪うに至る。

 そして930年6月には、清涼殿(せいりょうでん)に落雷が起こった。これが凄かったようだ。昼すぎの頃、愛宕山の上より起こった黒雲はたちまち雨を降らせ、にわかに雷鳴を轟かして清涼殿の上に雷を落とし、神火を放った。

 この結果、殿上の間に侍していた大納言藤原清貫は胸を焼かれて死亡し、右中弁平希世(まれよ)の顔は焼けただれた。また紫宸殿(ししんでん)にい た者のうち、右兵衛佐美努忠包(みぬのただかね)は髪が焼けて死亡、紀陰連(きのかげつら)は腹部が焼けただれて悶乱、安曇宗仁(あずみむねひと)膝を焼 かれて倒れ伏すというありさまであった。

 そして、この落雷で、天皇も病に伏し起きれなくなったしまった。

 おそろしや!おそろしや!

 理不尽な処置で人を死に追いやれば、その怨霊はその罪を犯した人すべてに報復を加え、ついには最高責任者たる天皇をも殺しかねないのだという認識が当時の人々の間にすっかり定着してしまった。

 939年、かの平将門は新皇即位の儀式をするが、そのときにも道真の怨霊が出てきて平将門をけしかける。

 

 浄蔵の弟・道賢は、わずか12才であったけれど、父清行の命で、・・・・吉野は「役の行者」ゆかりの金峰山(きんぷせん)に篭もり、父の死にも帰京せず26年間の修験道に励む。道真の怨霊を鎮めるためだ。

オンボダロシャニソワカ
オンバサラダドバン
オンアビラウーンクハン
オンアメリタティー
ゼイカラウーンノウマクサマンダボダナン

 26年後やっと修験の効なって、「冥界めぐり」に成功、道賢は、道真の怨霊の怨みを聞いてやる。神通力のある修験者に聞いて貰えれば道真の怨みもさすがにやわらぐというものだ。

 遂に、その後942年になって、道真の霊は「多治比のあやこ」という女性にご託宣を下し、道真の霊を祭らせる。天神の誕生であり、北野天神社の創建へと繋がっていく。今の位置に北野天神社が創建されたのは946年である。

以上の出来事は『北野天神縁起』などで浄蔵と道真の霊が対峙する場面として著されているが、決して浄蔵と道真の怨霊との対決というようなものではなく、無実の罪で流罪となった道真の正当性を語るために、若くして当代一の霊力を持った浄蔵が引き合いに出されているのである。どれほど浄蔵が有名だったかがわかるであろう。



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