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2014年3月16日 (日)

天神信仰(5)

天神信仰について(5)

3、文子天満宮祭(1)

菅原道真に関する「文子天満宮祭」というのがある。この祭りは、毎年一度祭りの日に、菅原道真の御霊(みたま)をこの北野天満宮の境内にある文子天満宮社にお迎えする祭りである。その様子がYouTubeにあるので、まずはそれを見ていただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=mSbFLPhFEnQ

これを見て思い出すのは早良親王の御霊(みたま)の祭りだが、「文子天満宮祭」では何とも不思議な雰囲気の中で「御霊(みたま)移し」が行われていますね。

「文子天満宮祭」についてその謂れを説明するには大宰府から語らなければならない。菅原道真は立派な人物で大宰府でも大変人望が高かったらしい。したがって、亡くなった時、その亡骸は手厚く葬られた。その時の様子は、『 門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が菅原道真の亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなった。』と伝えられている。

その他、菅原道真と牛との関係はいろいろあるようで、天満宮では牛が神の使い(神獣)とされているのである。

かくして、菅原道真の御霊は、太宰府の安楽寺に祀られた。その後暫らく経って京都で菅原道真の怨霊が暴れまくるのだが、もちろん大宰府では怨霊は現れない。まだ大宰府天満宮も創建されていない。大宰府天満宮が創建されるのは、浄蔵をはじめとする天台密教の僧によって、菅原道真の怨霊が鎮まってからである。
菅原道真に随行して大宰府に行っていた人達は、菅原道真が亡くなってから京都に帰ってきたが、その際、安楽寺に祀られている菅原道真の御霊を京都に分祀した。その場所が北野天満宮の南方、上下立売通辺りである。そこが安楽寺天満宮であり、その付近に大宰府から帰ってきた人達が住んだ。そして、その人達が神人となって、安楽寺天満宮における菅原道真の御霊を分祀して、小さな祠を建てたのである。その代表が一の保天満宮であり、安楽寺天満宮の境内にあった。彼ら神人たちの重要な関心は、菅原道真の託宣によって、京都でいちばん最初に立てられたという文子天満宮である。何とか文子天満宮を安楽寺天満宮に遷宮できないものか。それが彼らの願いであったと思う。朝廷筋の支援もあったかもしれないが、ある時期、文子天満宮は安楽寺天満宮に移され、文子天満宮は長らく安楽寺天満宮の境内にあったのである。

安楽寺天満宮の境内の文子天満宮は、明治時代に北野天満宮の境内に移設され、現在は、文子天満宮御旅所という名称で現地に残されている。
文子天満宮は、最初が下京区のそれであり、明治時代に北野天満宮の境内に文子天満宮社が建立された。その間、文子天満宮は長い旅をしていたのである。したがって、かって広大な安楽寺天満宮の境内にあった文子天満宮は、現在、「文子天満宮お旅所」と呼ばれているのである。

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