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2014年2月24日 (月)

正義の偽装(その19第2章第1節1)

正義の偽装(その19)

第2章 天皇

第1節 佐伯啓思の指摘(1)

佐伯啓思は「正義の偽装」の中で天皇に関連して次のように述べている。すなわち、

『 明治憲法は、統治の基本、国民(臣民)の権利、義務などを天皇の名で示した。そのために憲法の正当性天皇制度に委ねられ、天皇制度の正当性は日本の歴史そのものに帰着する。しかもそのことを人々が共通の価値として了解する限りで、憲法の正当性は保たれるのです。もっといえば、どうしてそれが可能だったのか。それは、君主である天皇は、日本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界を超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてきており、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理由もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのものだった、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸からすれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになります。かなり以前に、ある高名な政治学者が、半ば冗談、しかし半ば本気で、「日本の憲法は本当は聖徳太子の十七条憲法でええんや」といったことがあります。今日の憲法学者からすればとんでもない意見でしょう。しかし、その意味は、それこそが日本で最初に成立した「国のかたち」にかかわる文書であり、その上に積み重なった歴史の中にしか日本の憲法は描けない、ということなのでしょう。十七条憲法の「憲法」は、「いつくしきのり」と読みます。「重みをもった法」という意味です。なかなかよい言葉ではありませんか。』

『 日本の場合、「公」は「政治」と「祭祀」の両義的な意味をおびた「まつりごと」にほかならず、それは「武」ではなく「文」の領域になるのです。これに対して、「武力」は「私」のものです。それは私領を守り、一族郎党を食わせる不可避の手段でした。(中略)武士とは、何よりもまず、一族郎党の私領を確保し、その「一所」を命を懸けて守った存在でした。命を懸けるのは、「私」の家(イエ)のためだったのです。そして、ここに一線が引かれていた。天皇・貴族は、「公」の側に位置し、武士は「私」の側にいた。「政治」は「公」のものであり、そこに「私」が入り込むべきではなかった。「公」は「文」、つまり「文化」と結びつき、「私」は「武」、つまり根源的な生と結びついていた。(中略)政治は「公」の事項であり、それは「武」を伴うものではなく、広義の「文」として行われる。その中心にあるのは、天皇の祭祀である、という形式は守られてきた。この「形」を守ることが社会秩序の基礎だったのです。』

『 (橋下氏や石原氏などの例を見てつくずく思うが、)今日の日本の政治は、「作家的なもの」すなわち「私的なもの」、「感覚的なもの」を「政治的なもの」すなわち「公的なもの」へとほとんど遠慮会釈なく持ち込み、しかも、それを媒介しているのが、大衆の情念や好奇心である、といってよいでしょう。』

岩井國臣のコメント:「明治憲法は、統治の基本、国民(臣民)の権利、義務などを天皇の名で示した。そのために憲法の正当性天皇制度に委ねられ、天皇制度の正当性は日本の歴史そのものに帰着する。」という佐伯啓司の指摘は極めて重要な指摘である。我が国は、律令国家という国としてのきっちりした形が定まって以来、天皇を中心に歴史を刻んできた。したがって、天皇は、我が国の歴史と伝統文化の象徴であり、天皇の正統性は、佐伯啓司の指摘どおり日本の歴史そのものに帰着するのである。
『 しかもそのことを人々が共通の価値として了解する限りで、憲法の正当性は保たれるのです。もっといえば、どうしてそれが可能だったのか。それは、君主である天皇は、日本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界を超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてきており、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理由もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのものだった、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸からすれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになります。』・・・という佐伯啓司のこの一連の指摘もまことに重要な指摘であり、これから行われるべき憲法改正に当たっても私たちは、このことを十分認識しなければならない。日本の国の形、「国体」というものは、天皇の権威と政治の権力の複合形態である。この認識がもっと国民の間に浸透していけば、西洋型民主主義とは一味違う日本型民主主義が成熟していく、と佐伯啓司は言っているのだ。私もまったく同感だ。識者の中にも、こういう歴史認識がなく大統領制を思考する馬鹿な人がいる。日本の歴史をもっと深く勉強してもらいたい。

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