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2014年2月17日 (月)

時事問題140217

時事問題140217

今回の安部総理の靖国参拝で否定的な意見が多い。文藝春秋3月号の座談会でも多くの識者が否定的な意見を述べているが、私のような意見を言っている人は皆無である。私の意見は後ほど述べるとして、まずは否定的な意見の代表的なものとして、落合信彦の意見を紹介しておきたい。彼は次のように述べている。すなわち、

『 国のために散った英霊に敬意を示すのは当然のことだ。敗色が濃厚な中で特攻に出撃した若者たち、故郷から遠い異国の地で「靖國で会おう」を合言葉に散っていった兵士たちのことを思うと目頭が熱くなる。彼らの築いた礎の上に現在の日本があることを決して忘れてはならない。』

『 今回の安部総理の参拝で特に許し難いのは、日本に対して打つ手がなくなりつつあった中韓両国にわざわざ付け入る隙を与えてしまったという点だ。さらに重要なのは、安倍がアメリカの反応を読み違えたことである。絶望的な情報センスの無さだ。』

『 落合信彦の全般的な意見の中には気になる点もあるが、少なくともここで紹介した意見については同意だ。しかし、靖国問題の本質は別のところにあって、落合信彦もそれにはまったく触れていない。』・・・と。

私は、政治家たるもの、特にリーダー的な政治家は、天皇が安心して靖国参拝ができるような状況を作るべく努力すべきであって、そういう状況が整うまでは靖国参拝は自粛すべきである、と考えている。

では、今後どのような状況を整えれば良いのか?それが大問題で、まずはそのことについて国民的な議論が巻き起こらなければならないだろう。私は、靖国神社における戦犯東条英機の分祀問題、日中戦争に対する歴史認識の問題、御霊信仰に基づく新たな儀式の問題などについて、私なりの意見を持っているが、それらについては今後機会を見てお話するとして、ここでは、靖国問題については今後国民的な議論が必要であるということだけを申し上げておきたい。

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コメント

●開戦には多少の仕方ない事情があったとしても、戦争責任は指導層にあるし、徹底的に負ける前に停戦の機会を作れただろう。ミドウエイで暗号解読されて負けた時には、まだ米国も軍事費に窮していたのである。その意味では停戦の遅れは時の前後の内閣にある。

●戦争とは相手が完敗するまで行うものではなく、途中で見極めて終わらせるものである。

●戦争の犠牲になって、今日の日本ができたというその犠牲者には、敗戦と停戦の遅れの責任者は入らないのである。

●ましてや朝鮮や中国は日本に侵略はしていないので、他の国も同様に云々は慰安婦問題ではこの国には当てはまらない。

●この嫌がっていることをくり返すのは、相手の感情歩を無視しているので、ストーカと同様の感覚であると言える。愛情の表現だと言っても通用しないのである。その意味では安倍はただの阿呆である。

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