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2014年2月 3日 (月)

正義の偽装(その1「はじめに」1)

佐伯啓思の「正義の偽装」について

その1 「はじめに」1

佐伯啓思の「正義の偽装」(2014年1月20日、新潮社)というまあ驚くべき本が出た。佐伯啓思はものの見方が確かである。私が大いに教えられる思想家は中沢新一と佐伯啓思の二人であり、その二人の著書はほとんど全部読んでいる。今度はどんな本を出るのか、いつも心待ちに待っているが、ようやく佐伯啓思の新しい本が出た。それが「正義の偽装」であるが、これは画期的な本である。あるべき政治形態として民主主義が世界を闊歩しているが、彼は、民主主義に疑問を投げかけ、出版社をして「民主主義の断末魔が聴こえる」と言わしめている。ともかくすごい本だ。カバーの裏にはこう書いてある。すなわち、

『 何を信じたらよいか、何を信じるべきか。景気回復、東京五輪など楽観ムードが漂う中、日本人の精神に何が起きているのか。「アベノミクス」という虚構、「憲法」という誤謬(ごびゅう)、「復興」という矯飾、「天皇家」への警鐘・・・大震災後の出来事から表出する国家のメルトダウン。民意や国民主権という幻想の下、幸福を一途に追求してきた日本に今、民主主義の断末魔が聴こえる。稀代の思想家が真理を隠す「偽善の仮面」を剥ぐ。』・・・と。

実は、佐伯啓思は、少し前に、「自由と民主主義はもう止 める」(2008年11月,幻冬舎)を書き、それに関連して私は自由主義について私なりの考えを述べてきた。これから佐伯啓思の「正義の偽装」(2014年1月20日、新潮社)の書評として民主主義についての私の考えを書いていくのだが、まずは、佐伯啓思の「自由と民主主義はもう止 める」に関連して申し述べてきた自由主義について私なりの考えを振り返っておきたい。

佐伯啓思は、「自由と民主主義はもう止 める」のなかで『今日の先進国,特に日本の問題は,自由の抑圧というより「自由の過剰」から、貧困というより「過剰な物的幸 福の追求」から,価値による束縛というより「価値の崩壊」から生じているんではないでしょうか。』・・・と言っているが,私は,日本における現在の問題が 貧困というより「過剰な物的幸福の追求」にあるという彼の認識,つまり「貧困」と「自由」についての認識は、多分,間違っていないように思われる。しかし、「貧困」の問題は政治と深くかかわり合って生じてきているのではないか。

現在さまざまな形の貧困が顕在化してき ている。学生の就職浪人,,ニート,ワーキングプア,ネットカフェ難民,派遣切り,ホームレス,生活保護家庭など・・・の生活困窮者がここ数年急増してき たが、この傾向は収まる気配はなく,深刻な社会問題になっている。贅沢でなくて良い,ある程度安定した生活を望むは誰しも同じだ。しかし,それが出来な い。「自由」な生活が出来ないのは「不自由」なのである。新自由主義はそう言う「不自由」を放置してきた。放置してきたというのはやや言い過ぎかもしれな いが,少なくとも重視してきていないのは事実だ。

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