« 正義の偽装(その11第1章第3節4−1) | トップページ | 正義の偽装(その13第1章第3節4−3) »

2014年2月14日 (金)

正義の偽装(その12第1章第3節4−2)

佐伯啓思の「正義の偽装」その12
第1章 自由主義と民主主義について
第3節 これからの日本の政治・・・民主主義について考える
4、今西錦司のリーダー論(2)
 岩井が今西さんのこと語れというけど、実を言うとね、今西さんのことを語るという資格もないしね、本当は、そんな能力もないんやけど、それでも、まぁ知ってることを伝えるとね、ともかく、僕は個人的にね、リーダーというのはこうあるべしということをね、何回か聞いたんや。あの人は、ものすごい怖い人やったらしい。ちょうど卒業年次でいうと昭和20年代の連中にしたらね、もの凄い怖かったらしい。しかし、僕なんかにはね、もの凄い優しいねん。何でか言うと、孫くらいやから(笑)まぁ、孫というと語弊があるけどね。非常に可愛がってもらった方でね。ともかくね、今西さんはリーダーというものがいかに重要かということを言われた。
 僕、その頃のノートやメモを取ってあるんだけどね、書いてあることのひとつはね、人柄ですよ。人格、人柄。人格というのは、かってに俺が後で考えて付けたんやけどね。実は今西さんはね、人柄と言うてはるわ。人柄。それからね、二つ目は、順番はちょっと忘れたけどね、先見性。先見性という言葉は使ってなかったかもしれんけど。
岩井/松尾(同時)  洞察力!
松尾  洞察力みたいなもんやね。洞察力。それから、三番目はね、これ、もの凄い大事なんやけどね、常に責任を取る覚悟。これを言うてはるねん。
 それでね、僕はそれを人に語らんならん時があってね、どこかで読んだなと思ってね、探したんや。なかなか見つからなかったけど、とうとう探し当てた。自然学の提唱というね、小さいインタビューに答えてはるんや。一九八六年のこと。今西先生はね、一九九二年に亡くなってるはずやからね、本当に晩年の貴重な資料やね。その中に、やっぱり語ってはる、その三つを語ってはるんや。
 それで、今、岩井ね。人をつくらなならんと言うたやろ。その資質が有る人間をね、育てなあかんと。今西さんはね、どういうて言うてはったかゆうたら、リーダーちゅうのはね、生まれつきのもんやというのが、あの人の言い方やね。つまりね、人柄ってなものはね、生まれついてのものやというわけや。洞察力も。
 そやけど、俺がよく今西さんに言われたのは責任や。責任取る覚悟が出来てるというのはね、もう、相当にトレーニングを積まな出来まへんでと、いうことやねん。
岩井  あぁ、そうか。
松尾  そら、それぞれの立場があるやろ。あんまり、そんな詳しいこと言わはれへんだけど、要するに、どういう時には、どういう責任を取ることができるるかっちゅうことをね、常に考えてやらなあかんと、いうのがね、今西さんの言い方やったと思う。
岩井  なるほど。
松尾  俺はそう思う。まぁ、それぐらいで良いと思うんやけどね。もう一つだけ言うとくとね、加藤泰安って、もちろん知ってるやろ。
岩井  知ってるよ。
松尾  大登山家やな。僕らの先輩の。あの人の言い方するとね、リーダーというのは天才型と努力型があるって言うんだよね。努力型っていうのはね、調整やってゆく人だって、立派なリーダーになるわけやから、そらそれで、また良いやんか。そやけど、天才型の典型が今西錦司やというわけや。
岩井  そうかもしれんなぁ。うん。
松尾  ともかく洞察力とかね、決断力とかにもとづいて、行動なんかの批判は、絶対許さんというわけだよ。そやから、こういう大将に付いて行く方としたらやな、もう、迷惑至極というわけや。なんか批判でもしたら、そんなもん、ぶん殴られるくらいに怒るというわけや。(笑)そやけど、言うたとおりになる、ちゅうわけや。結果が。それが、今西さんや。クワハン、桑原武夫先生がね、「今西錦司序論」かな。なんかに書いてはるのがあってね、ともかく、あれは、エゴイストじゃなくてエゴチストやちゅうことを言うてはる。
岩井  そら、どういう意味や?
松尾  エゴイストやったらね、これは利己主義者やろ? 誰にも好かれへんわいな。エゴチストちゅうのは、まぁ言うたら自惚れの物凄い強い人間やね。まぁ、一面で悪く言えば、自分の主張が物凄い強いとこがある。で、いい意味でのエゴチストであってね、もの凄い、不条理やと言うわけや。何も説明しよらへんと。そやけど、なんか知らんけどね、これについていかないかんという気分にさせる男なんやと(笑)。それが今西や、ちゅうわけや。それで、やっぱり若い時分にはね、怒ってね、人を叩いたりしたこともあったらしいけどね。だけど、梅棹さんなんかが書いてはるもんを見るとね、あれぐらいの年齢になってくると、もう、人にそういう無礼なことをやる人では絶対になかったと。やっぱ、京都人としてのね、貴重なマナーを守る人やったと、梅棹さんやらは書いてる。ただし、この梅棹さんとクワハンの言うてることが全く同じことはね、やっぱりね、論理的にどうやっていうことはなく、説明せんっちゅうわけや。そやから、何が合理的かということがわからへん。例えば、知床の時やったか・・・白頭山かな、梅棹さんなんかが、こうこう、こういう理由で、こういうルートを通るっていうたら、今西さんは物凄い怒ってね、もう勝手に行けということで自分だけ違うとこへ行っちゃった。ほいで、やっとこさたどり着いたら、もうそこで「お前ら何してんねん」ちゅうて待ってはったというわけや
(笑)
岩井  ハハハ
松尾  そう言うのが、やっぱり天才型やね。しかしそれは、先見性、洞察力とかね、それから物凄い知識とかね、そういうものが背景にあるわけでね。
岩井  そりゃ恐らく先天的な物があると思うんだけども、やっぱり僕は全てがそうじゃなくって、先天的なものもあるけど、後天的なものもある。そう思う。特に小さい時のね幼児教育やね、僕は非常に大事じゃないかなと。責任感にしても、洞察力にしてもね、人柄にしてもね、僕はやっぱり後天的なものも、無いわけではないと思う。
松尾  そりゃあ、その通りや。ところで今西さんは京都でも指折りの織物の息子やろ。
岩井  そうそう。
松尾  だからね、京都ちゅうのは、まぁ梅棹さんもそうだけど、町家のね、こうずーっと伝統的に身についていくルールみたいなものがね、
岩井  染み付いとるんやな。そういうとこあると思うね。
松尾  だから、守らなならんルールというのをきちっと守って、言葉遣いやらでもね、乱暴に言うちゃいかん時には絶対乱暴には言わはらへん。仲間内は別やけどね。

« 正義の偽装(その11第1章第3節4−1) | トップページ | 正義の偽装(その13第1章第3節4−3) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/54987686

この記事へのトラックバック一覧です: 正義の偽装(その12第1章第3節4−2):

« 正義の偽装(その11第1章第3節4−1) | トップページ | 正義の偽装(その13第1章第3節4−3) »