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2014年1月 5日 (日)

知られざる清水寺(その1表面的な理解)

知られざる清水寺
その1 表面的な理解

清水寺は「聖地」と「魔界」の交錯する「場所」である。

清水寺は法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をも つ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺、長谷寺などと並び、日本でも有 数の観音霊場となっている。
778年、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告 げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金 色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行 い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。 年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分 はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身 であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安 置した。これが清水寺の始まりであるという。
その2年後の780年、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811 年)は、修行中の賢心に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の 生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観 音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。805年には太政官符により坂上田村 麻呂が寺地を賜り、810年には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、「北観音寺」の 寺号を賜ったとされる。『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙 げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安 時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる。

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