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2014年1月 4日 (土)

六道の辻(その4西福寺と檀林皇后)

魔界京都・・・六道の辻あたり
その4 西福寺と壇林皇后
六道の辻は、角に西福寺がある。壇林(だんりん)皇后ゆかりの古寺である。嵯峨天皇 の皇后・橘嘉智 子、俗に壇林皇后はこの西福寺にたびたびお詣りになったようである。 篤く帰依しておられたようだ。皇太子が患われたときも西福寺の地蔵尊に病気平癒を祈願 し、皇太子は無事天皇に即位できた。仁明(にんみょう)天皇である。壇林皇后がこんな 髑髏(どくろ)の地にお越しになるということは、よほどの思いがあっ たことだろう。 それにしても皇后がこういう異境の地をたびたび訪れたということは、天皇制の両義性を 考える上でも重大な意味を持っている。 ところで、仁明天皇の子が空也上人だという説もあり、もしそうだとすれば、この地に 六波羅密寺があ るのもうなずける。空也上人という存在も、天皇制の両義性を考える上 でとても重要な意味を持っている。はたして空也上人が仁明天皇の子であったかどうかは 定かではないが、空也上人が貴種(きしゅ)(天皇家の人間)であることは間違いないと されている。そうでありながら、空也上人はまさに市井の聖人として崇められた。 天暦五年(951年)、京都は悪疫が流行って人々はばたばたと死んでいった。多くの 遺骸が埋葬もさ れず路傍に放置されている京の町を、空也上人は自らが刻んだ金色の十 一面観音を車に載せて念仏を唱えながら歩き回り、生者の一人一人に仏前に供えた茶をふ るまった。するとたちまち疫病は鎮まったという。空也上人はおびただしい死者の供養の ために西光寺を建て、悪疫をもたらす死霊の祟りを鎮めるために十一面 観音を本尊と し、梵天・帝釈天を納めた。空也上人没後五年、西光寺は六波羅密寺と名を改めた。
さて、仁明天皇ゆかりの西福寺の地蔵尊はまことに霊験あらたかで、みやこ人は「子育 て地蔵尊」とし て篤く信仰したといわれている。なお西福寺では、かって、毎年御盆に は住職によって絵解きが行なわれていたが、住職が亡くなったので今ではそういう行事は なくなった。お盆には地獄絵が掲げられてはいるが、残念なことである。そして地獄絵は

珍皇寺でもお盆に掲げられている。住職による絵解きの復活が望まれるが、まあ地獄絵が 掲げられるだけでも全国的に珍しい習わしではなかろうか。みなさんも御盆の時(8月7 日~10日)に六道詣りをされ、 「地獄の旅」の雰囲気を味わってみられてはどうだろ う。
西福寺の地獄絵
http://blogs.yahoo.co.jp/kyotosyasin/44003361.html

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