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2014年1月 4日 (土)

六道の辻(その5魔界は聖地)

魔界京都・・・六道の辻あたり
その5 魔界は聖地

すべては因果応報、悪いことをしたら地獄に落ちる。この地獄の思想は、古代仏教でいうところの「縁起説」である。すべては因果関係で生ずるゆえ、すべては独自に自足的に存在するのではなく、それをあらしめている原因に依存して無常である。因果応報・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。これはまさしくホワイトヘッドの「象徴の哲学」の世界で
もある。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。

さて、魔界とは、私の定義によれば、気味の悪い霊、怨霊、妖怪、鬼、天狗などの出没す る場所又はそれらに出会うための場所や通路のことである。さらに、あの世など異界への 出入り口も、広義の意味では魔界と言っても良いかもしれない。 魔界というものを理解する上で大事なのは、両頭切断して絶対的認識に立つ時、ひっくり 返し現象が起こるということである。その典型が怨霊の御霊へのひっくり返し現象であ る。魔界に神社や寺院が建てられ、大宮司や大和尚を始原として、多くの人の祈りが捧げ られていくと、魔界は聖地になり得る。魔界というものは、ほとんどのところがそういう 両義性を持っている。魔界でありかつ聖地であるし、魔界でもなく聖地でもない。戻り橋 や鞍馬や伏見稲荷もそうだが、六道の辻もそうであり、特に、六道の辻の場合は、「まじ ない文化」と並んでもっとも典型的な日本文化である「えびっさん」があって、「 南無 阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」という祈りが、「わはっはつは、 わはっはつは」という 福の神信仰にひっくり返っている。そういう両義性を持っている「六道の辻」はまさに典 型的な「知のトポス」である。

えびっさん
http://kurayo4.exblog.jp/7931335

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