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2014年1月20日 (月)

四天王寺(その11折口信夫の小説「身毒丸」3)

知られざる四天王寺

その11 折口信夫の小説「身毒丸」3

何も驚くことはない。あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからのう。
身毒を居間に下(くだ)らした後、事あり顔に師匠の周りをとり捲いた弟子どもに、こだはりのない声でからからと笑つた。
瓜生野の田楽能の一座は逢坂山を越える時に初めて時鳥(ほととぎす)を聞いた。住吉へ帰ると間もなく、盆の聖霊会が来た。源内法師はこれまで走り使いにやり慣れた神宮寺法印の所へさへも、身毒を出すことを躊躇した。そして、その起ち居につけて、暫くも看視の目を放さなかつた。
どうも、うはうはしている、と師匠の首を傾けることが度々になつた。
田楽師はまた村々の念仏踊りにも迎へられる。ちようど、七月に這入つて、泉州石津の郷で盆踊りがとり行われるので、源内法師は、身毒と釈迦童子とを連れて、いっときあまりかかつて百舌鳥(もず)の耳原を横切つて、石津の道場に着いた。その夜は終夜、月が明々と照つていた。念仏踊りの済んだのは、かれこれ子の刻の頭である。源内法師は呆れて立つている二人を急き立てて、そそくさと家路に就いた。

(岩井國臣のコメント:なぜ身毒と釈迦童子が呆れて立っていたのか判りませんが、多分、念仏踊りがくたくたになるほど夜遅くまで行われたからではないか。)
道は薄(すすき)の中を踏みわけたり、泥濘(ぬかるみ)を飛び越えたりした。
三人の胸には、三人三様に不安と不平とがあつた。踊り疲れた釈迦は、おりおり聞えよがしに咳をする。源内法師は、心にこびりついた不満を鑢(やすり)ででも削って除けたいばかりに、いらいらした心持ちで、先頭に立つてぼくぼくと歩く。久かたぶりの今日の外出は、それまで鬱積(うっせき)していた身毒の心持ちをさらにのうのうとさせた。けれどもそれは、ほんの暫しで、踊りの初まる前から、軽い不安が始中終彼の頭を掠めていた。

(岩井國臣のコメント:身毒の心境:身毒は、頭を剃られてから、今までと勝手が違うし、また師匠も身毒に外出の用を言いつけなくなっていた。師匠の目には、身毒がどうもうはうはしており、練習に身が入っていないと映っていた。なぜ身毒が鬱積した暗い気持ちに落ち込んでいたのか。今までは、美しい若衆として、女性にちやほやされていたにもかかわらず、頭を剃られて、すっかり様子が変わってしまった。今までのように女性から人気を博する事はできそうもない。身毒はそう感じて、自然と暗い気持ちになっていたのではないか。やはり、暗い気持ちが長く続くと、気持ちは鬱積してくるし、そういう状況では、当然の事ながら練習に気持ちが乗らない。うはうはしてもやむをえない。練習に気持ちが乗らないのは自分でも自覚できるので、練習不足が続く事になる。そうなれば、さらに気持ちは暗くなり、鬱積の気分はひどくなる。悪循環に陥るのである。しかし、踊りの始まる頃には、久しぶりに人前で踊れるので、多少気分も晴れた。しかし、日頃の練習不足のために、今日の踊りははたしてうまく踊れるのかどうか、身毒は少し不安になってくるのである。)

身毒は、一丈もある長柄の花傘を手に支えて、音頭をとつた。月の下で気狂ひのように踊る男女の耳にも、その迦陵頻迦(かりょうびんが)のやうな声が澄み徹つた。
(岩井國臣のコメント:迦陵頻伽は、極楽浄土にいる幻の鳥。その美しい声は仏の声の形容。)


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