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2014年1月25日 (土)

四天王寺(その16折口信夫の小説「身毒丸」8)

知られざる四天王寺

その16 折口信夫の小説「身毒丸」8

身毒は、広々とした屋敷うちを、あちらこちらと歩いて見た。
それは、低い田居を四方に見おろす高台の上を占めて、真ん中にちよんぼりと、百坪あまりの建て物がたつているのであつた。
広くつき出した縁側の上には、狐色に焦れて、田舎びた男の子や、女の子が十五六人も居て、身毒らの着いた時分から、きよときょと、一行の容子を見つめていた。 彼らの目色には、都人の羨(うらやま)しさを跳ねかへす妬み憎み、そこから異郷人に対する敵愾心(てきがいしん)と侮蔑とに輝いている。若い身毒は、どこへ行つても、かうした瞳(ひとみ)に出会うた。そうして、かうした度毎に、身の窄(すぼ)まる思いがした。
子どもたちは、やがて、外から見え透(す)く広い梯子(はしご)を伝って「つし」(屋根裏部屋)の上にあがつて行つた。
一行のために、南開きの、崖に臨んだ部屋が宛てがわれた。
源内が、家のあるじに挨拶に行つた間を、ひろびろと臥(ね)ていた人たちの中で、ぽつりと一人が坐つていた、彼を見とがめた一人が、どうしたのだと問うた。
どうもしないと応えるほかには、言うべき言葉がわからない心地に漂うていたのである。
がらんとした家の中は、遠くから聞えて来る人声がさわがしく聞えた。子どもらは、いろんな聞きも知らぬ唄を、あどけない声で謡うている。身毒は、瓜生野の家を思った。しかし女気のない家の中に、若い男や中年の男が、仮に宿つているといふだけで、かうした旅の泊りとちがうたところがないのだ、という心持ちが、胸をたぐるやうに迫つて来る。
くたびれたくたびれた。おや、身毒。おまえも居たのか。おまえはいつも、わるい癖ぢやよ。遠路をあるくと、きつとそれだ。何という不機嫌な顔をする。 身毒は、黙つていることが出来なかつた。
わしは、今度こそ帰つたら、お師匠さんに願うて、神宮寺か、家原寺へ入れて貰おうと思っている。
おい、又変なこと、言ひ出したぜ。おまへ、このごろ、大仙陵の法師狐がついてるんかも知れんぞ。

(岩井國臣のコメント:当時は、仁徳陵の林に法師に化ける狐が出没していたらしい。)

今まで鼾(いびき)を立てていた釈迦が寝がへりをうつて顔をこちらの方へ向けた。年がさの威厳を持つたようなおつかぶせるような声である。
そうだともそうだとも。師匠のお話では、氷上で育てた弟子のうちにも、そういふ風に、房主になりたいなりたいと言いながら、とどのつまりが、蓮池へはまつて死んだ男があつたというぜ。死神は、得てしてそういふ時に魅きたがるんだというよ。気をつけなよ。
身毒は言う。おまへらは、なんともないのかい。住吉へ還らんでも、こうしていても、おんなじ旅だもの。せめて、寺方に落ちつけば、しんみりした心持ちになれそうに思うのぢやけれど。


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