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2014年1月17日 (金)

四天王寺(その8折口信夫の「身毒丸」2)

知られざる四天王寺

その8 折口信夫の「身毒丸」2

(2)折口信夫の小説「身毒丸」に寄せる思い

折口信夫は、俊徳丸伝説をもとに小説「身毒丸」を書いた、その思いについて次のように述べている。すなわち、
『 この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去つて、最原始的な物語に関してして書いたものなのです。』
(岩井國臣のコメント:折口信夫の小説「身毒丸」に寄せる思い:説経節もそうだが、それを基に書かれた近藤ようこの「妖霊星・・身毒丸の物語」』も俊徳丸伝説が指し示す真実を、仏教の教えを意識して作られている。しかし、仏教の教えというのは、日本に仏教が伝来し、それなりに磨きがかかったものである。しかし、仏教の教えというものは、絶対的なものではない。今後も進化していくものであろう。したがって、「妖霊星・・身毒丸の物語」』も俊徳丸伝説が指し示す真実というものは、仏教の教えを前提にしていては、私たちの前に姿を現すことはない。ハイデガーの根源学というのがあるが、その考えに従っていえば、仏教の教えというものも、樹木に例えれば、私たちが見ることのできる枝葉にすぎない。しかし、根源的なもの、物事の本質というものは、地中の根っこにある。これを私たちは目に見ることはできない。通常、私たちは、それが持つ本質というかその根源は認識できないのである。物事の本質というか根源を認識するためには、歴史的に成熟してきたすべてを取り除きながら思索を重ねていかなければならない。折口信夫は、そのために、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去つて、最原始的な物語に関して書く必要性を感じていたのである。)
『 世間では、謡曲の弱法師から筋をひいた話が、江戸時代に入つて、説教師の題目に採り入れられたところから、古浄瑠璃にも浄瑠璃にも使われ、又芝居にもうつされたと考へてゐるようです。もっとも、今の摂州合邦辻から、ぢりぢりと原始的の空象につめ寄らうとすると、説教節までは割合に楽に行くことが出来やすいけれど、弱法師と説教節との間には、ひどい懸隔があるやうに思われます。あるいは一つの流れから岐(わか)れた二つの枝川かとも考へます。』
『 わたしどもには、歴史と伝説との間に、さう鮮やかなくぎりをつけて考へることは出来ません。殊に、現今の史家の史論の可能性と表現法とを疑っています。史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、小説か或は更に進んで劇の形を採らねばならぬと考へます。わたしは、それで、伝説の研究の表現形式とし て、小説の形を使うて見たのです。この話を読んで頂く方に願ひたいのは、わたしに、ある伝説の原始様式の語りてという立脚地を認めて頂くことです。伝説童話の進展の径路は、割合に、はつきりと、わたしどもには見ることが出来ます。拡充附加も、当然伴うべきものだけは入つてきても、決して生々しい作 為を試みるようなことはありません。わたしどもは、伝説をすなおに延していく話し方を心得ています。』
『 俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱり「しんとくまる」が正しからうと思います。身毒丸の、毒の字は濁音でなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。』
わたしは、正直、謡曲の流れよりも、説教の流れの方が、たとえ方便や作為が沢山に含まれていても、信じたいと思ふ要素を失なわないでいると思うています。但し、謡曲の弱法師といふ表題は、この物語の出自を暗示してゐるもので、同時に日本の歌舞演劇史の上に、高安長者伝説が投げてくれる薄明りの尊さを見せていると考へ ます。』・・・と。




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