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2014年1月13日 (月)

四天王寺(その4俊徳丸伝説)

知られざる四天王寺

その4 俊徳丸伝説

俊徳丸伝説については、八尾私立図書館のホームページに紹介されている(注1)ので、まずそれを見てみたい。そこには、次のように紹介されている。すなわち、
『 高安山麓の山畑地区は、謡曲『弱法師』や浄瑠璃『摂州合邦ケ辻』、それに説経節『しんとく丸』の題材となった“俊徳丸伝説”で名高いところです。』
『 俊徳丸はこの地の信吉長者の子で、美しく利発な若者でした。ある時、選ばれて四天王寺の稚児舞楽を演じ、これを見た隣村の蔭山長者の娘と恋に落ち、将来を契る仲になりました。ところが、俊徳丸は継母の呪いがもとで失明し、癩に冒され、家を追われて四天王寺境内で物乞いをする身となり果てます。これを伝え聞いた蔭山長者の娘は、四天王寺に俊徳丸を探し求め、ようやく見つけ出して共に観音菩薩に祈ったところ、病は癒え、二人は夫婦となって蔭山長者の家を継ぎ、幸せに暮らします。一方、山畑の信吉長者の家は、信吉の死後、家運急速に衰え、ついには蔭山長者の施しを受けるまでになったといいます。 俊徳丸にまつわる伝承は、謡曲や説経節の題材になったことからもうかがえるように、かなり古いものであるらしく、室町以前、すでに一般に流布していたようです。 山畑地区には、今も『俊徳丸鏡塚』と呼ばれている塚があります。本来は、高安古墳群に含まれる古代の横穴式石室墳であるということですが、いつの時代にか、俊徳丸の伝説と結びついたようです。また、俊徳丸が高安の里から四天王寺へ通った道筋が、今に残る俊徳道だといわれています。』 『 俊徳丸にまつわる伝承は、謡曲や説経節の題材になったことからもうかがえるように、かなり古いものであるらしく、室町以前、すでに一般に流布していたようです。』・・・と。

俊徳丸伝説については、それを題材に謡曲の『弱法師』、説経節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)などが生まれた。ここでは、きわめて庶民的なものであるという観点から、説経節『しんとく丸』について説明しておきたい。

そもそも説経とは読んで字のごとく経を説くことである。仏典を読み説くためのものと言ってよい。仏の教えをいかに一般の人々に伝えるか? 教養のない庶民にお経を読んで聞かせても、それほど面白いものではない。そこで、日本では、庶民に対しては仏の教えを物語に仮託して伝えるという方法を取ってきたようだ。アポロ的なものはそれはそれ自身として当然あって然るべきなのだが、その心髄部分を広く一般に身近なものとして普及させるためには、ディオニュソス的なものも創作していく必要がある。そこで生まれたのが説経節である。説教節ではなく、説経節であるのでご注意願いたい。説経節には、五大説経節というのがあって、そのひとつが俊徳丸伝説に基づく「しんとく丸」である。そのストーリーは、次の通りである。すなわち、

『 河内国の高安(今の大阪府八尾市市内)の信吉長者は金持ちで何の不足もなかったが、前世での悪行の報いで子宝にだけは恵まれなかった。そこで、信吉長者夫婦は京都東山の清水寺に参り、観音に申し子して、子を授かった。(注2)

 生まれた男の子は、「しんとく丸」と名づけられた(信徳丸・真徳丸・新徳丸などの字をあてる本がある。同じ題材の謡曲『弱法師(よろぼうし)』には俊徳丸とあり、「しん」は「俊」から転じたとの説もある)。  しんとく丸は9歳になると、三年の間、信貴(しぎ)の寺(おそらく信貴山朝護孫子寺(しぎさん・ちょうごそんしじ)。奈良県生駒郡平群(へぐり)町。河内国高安に近い)に預けられ、学問を学ぶこととなる。

 信貴の寺で一番の学者となり、河内国高安に戻ってきたしんとく丸は、天王寺の聖霊会(しょうりょうえ。陰暦2月22日、聖徳太子の命日に営まれる法会)で稚児舞を舞うこととなり、その折、客席にいた和泉国近木の庄(こぎのしょう。今の大阪府貝塚市北西部)の蔭山長者の娘・乙姫に一目惚れ。 信吉長者の家来の働きで文を取り交わして結婚の約束を取りつける。しんとく丸は大喜びだったが、そんなとき、しんとく丸の母が亡くなってしまう。しんとく丸は持仏堂にこもり、母の菩提を弔う。

 信吉長者はまもなく新しい奥方を迎え、新しい奥方はじきに男の子をもうけた。新しい奥方は、しんとく丸がいるために我が子を信吉長者の跡継ぎにできないのが口惜しく、都に赴き、都中の寺社を駆け巡り、136本もの呪いの釘を打ち込んで、しんとく丸に呪いをかけた。(注3) しんとく丸は継母の呪いのために目が潰れ、ライ病となり、天王寺に捨てられる。しんとく丸は絶望して、物乞いもせずに飢え死にすることを決意したが、眠りについたしんとく丸の夢枕に清水の観音が立った。』・・・である。

当時、説経節「しんとく丸」がどのように歌われたのか、今は知る由もないが、河内音頭がその流れをくんでいると言われているので、参考のために、河内音頭を見てもらいたい。実にディオニュソス的なんですね。河内音頭は盆踊りに説教節の要素が入って「芸能」へと発展したものらしい。出演者が後に進むに連れて、謡い出しの自己紹介や歌の概要説明が長くなっていくのが面白い。これも説教節の名残かもしれない。若者が多数踊っているのが目を引く。数秒踊りを眺めていたオバサンや若い娘が、ひょい、と踊りの輪に入っていく。見よう見まねで踊りながら数メートルも進むうちに、もう周囲に溶け込んでいる。すばらしい!
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kawachiondo.html


俊徳丸については、これを題材にして創作された小説に、かの有名な折口信夫の「身毒丸」(1999年6月、中央公論新社の<死者の書・身毒丸>に収録)があるし、一般大衆向けのアニメ、近藤ようこの「妖霊星・・身毒丸の物語」(2004年9月、青林工芸社)がある。それらについては、後ほど説明する。その前に、そもそも河内音頭の本場・八尾市と高安山といっても知らぬ人が多いかと思うので、その地理について説明しておきたい。

注1:俊徳丸伝説について
http://web-lib.city.yao.osaka.jp/yao/yao_07.html

注2:信吉長者夫婦は京都東山の清水寺に参り、観音に申し子して、子を授かった
http://feel.kiyomizudera.or.jp/

注3:新しい奥方は、都に赴き、都中の寺社を駆け巡り、136本もの呪いの釘を打ち込んで、しんとく丸に呪いをかけた
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kiyomizude.pdf

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