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2014年1月21日 (火)

四天王寺(その12折口信夫の小説「身毒丸」4)

知られざる四天王寺

その12 折口信夫の小説「身毒丸」4

折々見上げる皆の目にも、地蔵菩薩さながらの姿が映つた。若い女はみんな、その現身仏の足もとに、跪きたいように思った。けれども身毒は、うつけた目をしながら、遥かな大空から響いてくるかと思はれる自分の声にほれぼれとしていた。ある回想が彼の心をふと躓(つまづ)かせた。彼の耳には、ありありと火のような言葉が聞える。彼の目には、まざまざと焔と燃えたつ女の両手を差し上げる姿がゆらゆらとうごめいた。

(岩井國臣のコメント:女性が男に懸想し夢中になって男に言い寄る事があるが、身毒は過去にそういう経験があったようだ。その女性の言葉は火のように熱く、その姿は、あたかも自分を生贄にするかの如く、何かを引き寄せるように両手を差し出していた。折口信夫の原文は、「焔と燃えたつ女の奏が陽炎うた」とあるが、こんな文章は私たちにはとても理解できない。そこで、私は、「焔と燃えたつ女の両手を差し上げる姿がゆらゆらとうごめいた」と書き換えた。奏(そう)は、大漢語林によると、「いけにえなどの供物を両手を寄せながらあげて、おしすすめるさま」という意味もあるらしい。そこで、私は、原文を「焔と燃えたつ女の両手を差し上げる姿がゆらゆらとうごめいた」と書き換えたのだが、ともかく焔と燃えたつ女が、自分の身体を生け贄として、懸想した相手の男に差し出すさまを想像して欲しい。プロの踊りというのは、無心で踊らなければならない。何かに心を奪われては絶対にいけないのだ。しかし、身毒は、とんでもない事に、焔と燃えたつ女を思い出してしまったのである。)

踊り手は、一様に手を止めて、音頭の絶えたのを訝(いぶか)しがつて立つていた。途切れた歌は、直ちに続けられた。しかしながら、それまでのような昂奮はもはや誰の上にも来 なかつた。身毒は、歌いながら不機嫌な師匠の顔を予想して慄へ上つていた。・・・あちらこちらの塚山では寝鳥(ねとり)が時々鳴いて三人を驚かした。
(岩井國臣のコメント:寝鳥(ねとり)は、幽霊やお化けが出てくるときのドロドロドロというような不気味な声で鳴く鳥。その声は不気味だ。)

思い出したやう に、疲れただの、かひだるいだのと釈迦が独語(ひとりごと)をいふほかには、対話はおろか、ひとつのことばも発せられなかった。家へ帰ると、三人とも崩れ落ちるように土間の莚(むしろ)の上へ、べたべたと坐り込んだ。
源内法師は、身毒の襟(えり)がみを把(と)つて、自身の部屋へ引きずっていつた。
身毒は、ひとことも言葉を発せず引き締まった師匠の唇から出る、恐しい言葉を予想するのも堪えられない。柱一間を隔てて無言で向いあつてる師弟の上に、時間は移つて行く。短い夜は、ほのぼのとあけて、朝の光りは二人の膝の上に落ちた。
芸道のため、第一は御仏のためじゃ。心を断つ斧だと思え。
こう言って、「龍女成仏品」という一巻を手渡した。

(岩井國臣のコメント:「龍女成仏品」は法華経の中のひとつの巻。提婆達多品(だいばだったほん)の後半に龍女でも成仏できる事を書いた部分がある。その部分だけを写経して巻物にしたものをそう呼んだものらしい。)



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