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2013年12月 7日 (土)

平安京の道教遺跡(その8大将軍八神社の地理)

平安京の道教遺跡

その8 大将軍八神社の地理

以上に述べられている通り、平安京の建設とともに造られた道教ゆかりの神社は大将軍八神社のみである。では、早速、大将軍八神社にご案内するとしよう。まず、「ここ大将軍八神社」をクリックして下さい。地図が示されるので、ひとしきりその場所をご覧戴きたい。近くに、怨霊信仰にもとづいて建立された菅原道真を祭神とする「北野天満宮」と桓武天皇の母親・高野新笠と深い繋がりのある「平野神社」があることを確認できるだろう。
神泉苑を西に行けば、千本通りでJR山陰本線二条駅に突き当たる。千本通りは、言わずと知れた朱雀大路(すざくおうじ)である。少し上がったところが朱雀門である。私の母校・朱雀高校の少し西側である。
宇治の平等院に「葉二(はふたつ)」という名笛が残っている。元は朱雀門の鬼の笛であったところから、別名「朱雀門の鬼の笛」という。その笛を吹ける者がいなかったので、天皇の命により、浄蔵という笛の名手が、月のあかるい夜、朱雀門にきてその「葉二」を吹いた。そうすると、朱雀門の上から、鬼が大きな声、でそれを褒め称えたという。笛には摩訶不思議な力があるようだ。

皇居・大極殿は、「千本丸太町上がる西入る」の場所に造られた。そこが「龍穴」の位置だったからである。今は遺跡があるだけで何の面影も残っていない。したがって、ここでは、イーメージを紹介しておく。

ここらで「京都の通り」の話をしておこう。古来、東西の幹線道路は、丸太町通から始まるとと考えて欲しい。南に向かって、丸太町通り、竹屋町通り、夷通り、二条通り、押小路通り、御池通り、姉小路通り、三条通り、六角通り、凧薬師通り、錦小路通り、四条通り、綾小路通り、仏光寺通り、高辻通り、松原通り、万寿寺通り、五条通り、雪駄屋町通り、鍵屋町通り、魚の棚通り、六条通り、七条通り、八条通り、九条通りと続く訳だ。京都人でもこれらを覚えるのは大変なので、これらを覚える「歌」がある。丸太町通りがそういう東西幹線道路の起点になっているのは、平安京の時代に大極殿の南に面していたからである。現在も、丸太町通りは明治までの皇居・京都御所の南側に面している。昔は、大極殿の南に多くの人が住んでいたので、そういう人たちから見て、北は大極殿や京都御所に向かうので、北に行くことを「上がる」と言う。南に行くことを「下がる」という。これは京都独特の言い方である。私が大学を卒業するまで育った家は、「東堀川丸太町下がる」である。こういう言い方をする。大極殿址の石碑の立っている所は、千本丸太町にあるが、丸太町通りに面している訳でもなく、少し路地を入った所であるので、場所の説明としては、千本丸太町としか言いようがない。小さな家の密集地帯なのである。したがって、当時の面影はまったくないという訳だ。再開発をして、それなりの環境整備をすれば良いと思うが、地域住民にそんな気はないらしい。

さて、大将軍八神社は、千本中立売の少し西に行ったところにある。一条通りである。一条通りというのは、平安京の北の端にあたり、当時の東西幹線道路であった。現在では、千本通りから東は中立売通り(なかだちゅうりどおり)と言うが、平安時代の一条通りとほぼ同じと考えてよい。その千本中立売から東に15分ほど歩いて行くと堀川通に出るが、そこにはかの有名な「一条戻り橋」がある。「一条戻り橋」については、私の書いた詳しいホームページがあるので、是非、読んで欲しい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/modoriba.pdf


長々と朱雀門や大極殿や京都の通りの話をしてきたが、それは、「一条戻り橋」の紹介をしたかったからである。一条戻り橋は、陰陽道のメッカみたいな所であり、安部晴明の自宅があったし、下層の陰陽師たちも住んでいたのである。先に述べたように、平安京は、基本的には、道教の思想をしっかり身に付けた桓武天皇の強い意志とそれを支える実力者たちの力に負うところが大きかった。陰陽師の存在というものも大きかったのである。平安京の建設は、道教と陰陽道との合作と言っても決して言い過ぎではなかろう。大将軍八神社は、純粋な道教の鬼門である。しかしそれも、やがて陰陽道によって、十二支にしたがって、大極殿を中心に時計回りに毎年変わるようになり、最終的には、東北方面だけが鬼門となるのである。このような背景があって、私は、大将軍八神社を語る前に一条戻り橋のことを話しておきたかったのである。

では、大将軍八神社に戻ろう。大極殿から見て、大将軍八神社は北北西の方向にある。北北西に鬼門があるというのは、全国広しといえども、大将軍八神社だけである。つまり、道教的な方角の神というのは、大将軍八神社だけなのである。大将軍八神社には、そのような思いを持ってお参りして欲しい。さて、大将軍八神社は、千本中立売の少し西に行ったところにある。一条通りである。一条通りというのは、平安京の北の端にあたり、当時の東西幹線道路であった。現在では、千本通りから東は中立売通り(なかだちゅうりどおり)と言うが、平安時代の一条通りとほぼ同じと考えてよい。その千本中立売から東に15分ほど歩いて行くと堀川通に出るが、そこにはかの有名な「一条戻り橋」がある。「一条戻り橋」については、私の書いた詳しいホームページがあるので、是非、読んで欲しい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/modoriba.pdf

如何でしたか? 陰陽道のメッカ戻り橋という所は正に魔界の出入り口みたいな所であり、その象徴として式神の石像が鎮座している。そもそも一条通りというのは、平安京の北の端(はし)にあって、人々にとっては魔界の出入り口であったのである。そういう所に平安京を守るために大将軍八神社が建立された。では、大将軍八神社へ参拝に参るとしょう。


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