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2013年12月 6日 (金)

平安京の道教遺跡(その7大将軍八神社とは?)

平安京の道教遺跡

その7 大将軍八神社とは?

大将軍八神社は、平安京の建設とともに造られた道教ゆかりの神社である。「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、大将軍八神社について次のように述べている。すなわち、

『 上京区にある大将軍八神社も道教ゆかりの神社である。長安城にならって、かって平安京の西北を守護するために祀られた大将軍信仰の名残である。大将軍は、太白星(金星)の精で、方角の吉凶を司る神として崇拝された。太白星はその方位によって戦争の勝敗、国家の吉凶、革命、兵乱をもたらすものと「史記」天官書にあり、軍事を司るものつまり、大将軍と呼ばれたらしい。その大将軍を、西北に祀るということは、つまり、唐代においてはシルクロードにつながるその方角がもっとも外敵の侵入を受けやすかったからである。』

『 子の大将軍信仰は後世にも及んだらしく、室町時代の百科辞書「拾芥抄(しゅうがいしょう)」にはいくつかのものが記され、上、中、下の三つの大将軍堂があったことが知られる。ここにいう上の大将軍堂が上京区の大将軍八神社のことであろう。また、山城名勝志」には大将軍社は宮域の四方にあったとし、四社を記している。これらが平安京の成立時から鎮座していたかは疑わしい。大将軍が方角の神として崇拝されたのは、わが国の陰陽道による変容であろう。大将軍は、十二支の年によってその存在する方角を変えるとされ、(中略)12年で一回りする。その方角を侵すと必ず災いを受けるといわれ、例えば、棟上げ、井戸掘り、墓づくりなどは避けるべきだとされた。』・・・と。

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