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2013年12月10日 (火)

靖国問題(その1はじめに)

靖国問題
その1  はじめに

NHKスペシャル 「日米開戦への道 知られざる国際情報戦」という特別番組が一昨日放送された。 今から72年前の1941(昭和16)年12月8日、日本は真珠湾攻撃によって、アメリカとの戦争に突入した。日米両国の様々な国内要因に加え、国際情勢 が複雑に絡み合って勃発した、日米開戦。近年、「情報戦」という視点からの研究が大きく進展している。第二次世界大戦期の「秘密情報工作」に関する機密文 書が、イギリスなど各国で公開されているからだ。1941年春から開戦直前まで、日本はアメリカとの和平交渉と戦争準備を並行して進めていた。そこから「12月8日」までの道のりに、「情報」はどのような影響を及ぼしたのか。NHKでは特別番組を組み、各国の新史料や、新たに発掘した肉声の記録から、日米開戦の知られざる側面を浮き彫りにした。

NHKスペシャル 「日米開戦への道 知られざる国際情報戦」 については、2013年12月12日(木) 午前0時40分~1時38分(11日深夜)に再放送があるので、一昨日の放送をご覧にならなかった方は是非再放送を見て欲しいが、当時、列強の諜報活動が如何に激しかったか、当然といえば当然のことではあるが、その成否によって、国の運命が決まる。日本は諜報活動に完全に負けた。負けたというより諜報機関そのものが解散の憂き目にあっていた。日本の国家機密がすべてイギリスの諜報機関によって解読されるようになり、日本の諜報機関がまったく機能不全になった。その結果、解散せざるを得なくなったのである。このこと自体とんでもないことであるが、もともと国のトップ、当時は東条英機であったが、彼に諜報活動によって得られた貴重な情報を重視する姿勢がまったく無かったと言ってよい。軍部独走体制の中で、軍の思惑が優先され、総合判断の余地、すなわち妥協の余地というものが極めて少なかったのである。

もとより軍部の独走が始まったのは東条英機からではない。日露戦争と日清戦争に勝利し、日本軍が列強に伍する力をつけていくにつれ、軍部の中でタカ派が主流を占めるようになるのは自然の成り行きであって、それが軍部独走に繋がっていく。しかし、軍部独走の原因がそれにあるのではなく、御前会議という明治時代に作られたシステムそのものにある。システムが悪かったのだ。御前会議というものが軍部の主流派に上手く利用され、軍部の独走を許したのである。

太平洋戦争直前、結局、日本は、諜報活動で力を発揮できずに、ハルノートを最後通牒と考え、真珠湾攻撃に踏み切ったのだが、私に言わせれば、軍部独走体制の中で、軍部の思惑どおり進んだということである。

そこで、私が今いちばん深刻に思っていることは靖国問題である。私の考えでは、戦死した兵士の中には不幸な死に方をした兵士たちも少なくなく、その霊を国家としてどう慰めればいいのかということである。
戦死者の霊はさまざまであると思う。中には怨霊もいるはずだ。その怨霊を慰めるにはどうすればいいか?

私は以前に「揺り戻し現象」のことを書いたが、ここでは「ひっくり返し現象」というものについて述べておきたい。

その典型は御霊信仰。そして、御霊信仰の背後に祈りがある。荒魂というか怨霊の安らかを祈って、然るべき儀式における偉大な宗教家(大神主、大和尚、大牧師など)の祈りをきっかけにして、多くの人の祈りが捧げられていくと、荒魂や怨霊は和魂や御霊(ごりょう)にひっくり返る。ここに御霊(ごりょう)という言葉は、守護神とか鎮護の神という限定的な意味で使っているのでご注意願いたい。怨霊は宥(なだ)めないといけない。

日本は諜報戦争に負け、実際の戦争にも負けるべくして負けた。そして、その無謀な戦争による多くの戦死者が靖国神社に祀られている。その靖国神社に天皇が参拝できない現状は日本国として誠に不幸なことだ。国会議員たるもの、自分でお参りするのもいいけれど、それよりむしろ、天皇が心おきなく参拝できるよう力を尽くすべきではないか。

それには、満州事変に始まる日中戦争に対しどのような歴史認識を持つか、それが基本的に大事である。正しい歴史認識にたって、反省すべき点を明らかにし、世界に発信しなければならない。日本が真に平和国家になったことを発信しなければならない。靖国神社が軍国主義の神社でなく、平和国家の神社であることを発信しなければならない。靖国神社が世界平和のための神社であるとを発信しなければならない。日本が世界から尊敬される真の平和国家になってこそ、靖国神社に祀られている英霊ははじめて浮かばれるのである。靖国神社から軍国主義の匂いを一掃しなければならないのである。

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コメント

家康も知っていた倭国年号
最近珍しい書籍を教えてもらいましたので、ご存知かもしれませんが、紹介します。
安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。
興味深いことに、この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、倭国年号から大和年号に継続する522年善記からの年号が記載されています。この頃あった、古代からの日本の歴史についての考を知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、家康はこの倭国からの王朝交代を知っていたはず。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまった。日本大文典のこの内容は、ウィキなどにも出ていないようです、もう既に見ていますか。
ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 720年日本紀と 日本書紀 は別物という考証があります。
宜しくお願いします。

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