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2013年12月 8日 (日)

平安京の道教遺跡(その9大将軍八神社参拝日記)

平安京の道教遺跡

その9 大将軍八神社参拝日記

私がお参りした時には、可愛い女の子が七五三参りをしていた。本殿の右脇に大将軍の石像が鎮座していて、その向こうに方徳殿がある。その時は、たまたま開いていて、社務所で切符を買って大将軍たちと対面する。見事な大将軍たちが並んでいる。
方徳殿には 大将軍神像80躯が鎮座しているのである。総てが重要文化財だ。それらの神像群は平安時代中期から末期の制作といわれる。すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像、束帯姿の像、童子形の像(1体のみ)など計80体を数える。破損の多い像も多いが、これだけ多数の古神像が一神社にまとまって伝来する例は日本でも他になく、貴重なものである。1972年に総ての神像が国の重要文化財に指定された。撮影禁止なので写真は撮れなかったが、社務所で絵はがきを買うことがてきた。その絵はがきを以下にご紹介しておこう。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/saipaini.pdf

狭い境内だが、ゆっくり見て回ると結構味わいがあって面白い。参拝を終え、昔魔界の出入り口であったという一条通りを歩いて帰るのだが、そこは既に妖怪通りである。一条妖怪通りというのは、昔、この一条通りを妖怪が戻り橋に向かって「百鬼夜行」したことに因んて命名され、商店街の表看板になっている。
妖怪ラーメン屋の親父・井上さんが一条妖怪ストリートの旗ふり役であり、私は、井上さんの店の名物、「妖怪ラーメン」を頂きながらいろいろと話を聞いた。
そもそもこういうことを何故始め出したか、その理由であるが、ご他聞に漏れずこの一条通りの商店街もさびれる一方で、何か良い活性策がないか、皆で侃々諤々議論をしたそうである。そこで出てきた結論として、やはり歴史を生かそうというということになったらしい。正論であろう。

歴史的には、一条通りは、妖怪の通り道であった。「付喪神記」では、付喪神(つくもがみ)たち妖怪のと関白一行が出会ったいう話が記されている。付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に、神や霊魂などが宿ったものの総称で、荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし、和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。また、宇治拾遺物語には、ある男女が一条通りの桟敷屋(物見用の高い建物)で一夜を過ごしていると、「諸行無常 是正滅法…」と涅槃経を詠じながら大路を行進する妖怪の群れが現れた という話が出ている。さらに、一条通りで人間と妖怪が出会ってしまうという話は、徒然草や今昔物語にも見られる。一条通りは平安京の北端に位置する。一条通りから南は人々が暮らす日常の領域だが、北は平安京の外で人々の未知の領域である。そして、一条通りは「日常の世界」と「未知の世界」の境界線であり、二つの世界の住人、「人間」と「鬼などの妖怪」が出会う場所でもあったのある。一条妖怪ストリートでは妖怪の仮装行列も行なわれている。外国人に結構人気があるそうだ。

ところで、そもそも妖怪とは何なのか? 私の著作「霊魂の哲学と科学」(未定稿)の第1章の中で、 妖怪と天狗や鬼との違いなどを明らかにしながら、私の妖怪論を書いた。是非参考にして下さい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rei01.pdf

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