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2013年12月25日 (水)

魔界の話

魔界の話

京都には鞍馬や伏見稲荷や六道の辻などの魔界があるが、戻り橋も魔界のメッカである。魔界とは、私の定義によれば、気味の悪い霊、怨霊、妖怪、鬼、天狗などの出没する場所又はそれらに出会うための場所や通路のことである。さらに、あの世など異界への出入り口も、広義の意味では魔界と言っても良いかもしれない。魔界というものを理解する上で大事なのは、両頭切断して絶対的認識に立つ時、ひっくり返し現象が起こるということである。その典型が怨霊の御霊へのひっくり返し現象である。魔界に神社や寺院が建てられ、大宮司や大和尚を始原として、多くの人の祈りが捧げられていくと、魔界は聖地になり得る。魔界というものは、ほとんどのところがそういう両義性を持っている。日本文化にはそういう両義性を持っているものが少なくないが、私は、それは世界の中で異彩を放っていると思っている。魔界について、小松和彦は、その著「日本魔界案内」(2002年7月、光文社)の中で、次のように述べている。すなわち、

『 「魔界」を巡り歩くことは、忘れられた日本文化を発見することである。』
『 「先祖」は、私たちに質量ともに膨大な文化的遺産を残してくれた。ただ、私たちが気づかないだけである。それらを発掘し、想像力を駆使して、世界のさまざまな地域で生み出された文化と交流・混淆させながら、現代にふさわしい文化を作り直していく。そうした作業に従っているうちに、きっと日本列島に根を持った「私」が形成され、「私」の物語をつむぎ出すことができるのではなかろうか。』
『 そして、その基本となるのが、これまで私が一貫してこだわり続けてきた「あの世」であり「異界・他界」という文化・歴史なのである。』
『 神々が戯れ、鬼や妖怪が徘徊する「異界」や「あの世」が生き生きと存在していた時代の日本。しかも、そのような時代は遥か遠い昔のことだけのことではない。』
『 神々や仏がいる「聖地」は、「魔界」でもある。(中略)「魔界」という用語は、前著「京都魔界案内」(光文社)でも明らかにしたように、聖地をより深く理解するための最適のキーワードなのである。』
『 「聖地」と呼ばれるところは、仏や神がその敵対者である魔物との関係の中で光り輝くように、あるいは「闇」が深ければ深いほど「光」の世界が際立つように、その背後に「魔界」を持っている。そうなっているからこそ聖地が「他界」への入り口として光り輝いているのだ。』・・・と。

魔界でありかつ聖地であるし、魔界でもなく聖地でもない。戻り橋もそうだし、鞍馬や伏見稲荷もそうだ。かって私の書いたこれらに関するホームページをここに紹介しておく。
一条・戻り橋:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/modoriba.pdf
鞍馬:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/kura.html
伏見稲荷:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/inariaasu.pdf

京都の魔界の中でも、日本中の魔界の中でも「六道の辻あたり」は秀逸である。魔界中の魔界であり、ここを勉強することによって、日本文化の奥深さというものが判って来る。まさに「知のトポス」である。この「六道の辻」については、私は、以前に、それなりのホームページを作っていたのだが、清水寺も含める形で大幅に作り替え、さらに「六道の辻アースダイバー」に繋いでいるので、次回からそれらの内容を発信して行きたいと思う。

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