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2013年12月 4日 (水)

平安京の道教遺跡(その5神泉苑)

平安京の道教遺跡

その5 神泉苑

「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、神泉苑について次のように述べている。すなわち、

『 二条城南に、史跡、神泉苑という庭園がある。今は小さくなってしまったが、平安京造営時には南北400m、東西200mという広大な庭園で、中島のある大池や高殿も建っていたらしい。桓武天皇は延暦19年(800)に行幸したのをはじめ、なんと27回もここを訪れている。そして次の平城天皇が13回、嵯峨天皇が40回、淳和天皇10回と、平安初期の天皇たちが足を運んでいる。従来の学説によると、漢の武帝が上林苑に昆明池・甘泉宮をつくった故事にならい、その名も甘泉宮にならって神泉苑としたとされる。しかし、この説はすこぶる疑問である。「淮南子」には、崑崙より流れる四水をもって天帝の新泉と呼ぶとある。つまり、崑崙の東北より流れ出るのは河水、赤水は東南より出、その東に弱水、また洋水は西北より流れるという。おそらく神仙のいわれは、ここにあるのではなかろうか。』
『 神泉苑がつくられたところは、もともと京都盆地北部の複合扇状地の末端にある湧水池を利用している。清い水の湧くところ、それは聖なるところであり、桓武天皇は長岡京における交野、飛鳥京における吉野のような神仙世界に近づける場所として造ったのである。』
『 「続日本後記」の天長十年(833)には、11月15日に仁明天皇の即位に際する大嘗会が行われ、その翌日、豊楽院(ぶらくいん)で催された宴楽には悠紀(ゆき)と主基(すき)の標が立てられ、前者には二羽の鳳凰をとまらせ、日輪と半月輪の形、天老と麒麟の像がしつらえられ、後者には西王母が舜に世界の地図を捧げる像、西王母秘蔵の仙桃を盗む童子の像および鳳凰、麒麟などの像が配されたということが記されている。』・・・と。

以上のとおり、神泉苑が如何に道教思想と結びついていたかが判る。

さて、平安京は、風水思想によりその骨格が定められた。竜頭である船岡山と龍穴である神泉苑の位置基本として、都の中心線・朱雀大路が計画された。朱雀門は朱雀大路の北端にある。その奥は大極殿と大内裏である。朱雀門と神泉苑はほとんど隣接していると考えて良かろう。それほど離れてはいない。その中間にわが朱雀高校がある。したがって、わが高校は朱雀門や神泉苑の跡地にあるようなものだ。そのようなことで、私は神泉苑について、特別の愛着を持っていて、今までいろんな場で神泉苑ならびに関連記事を紹介してきた。それぞれだぶっている部分も多いが、それぞれ私の思い出が詰まっているので、ここに紹介させていただく。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/sinsenen.htm
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/sinsenen1.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/tabi08.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/sigenoi.htm
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/onryou.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/mizuhu.htm
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kuukai.html

現在、神泉苑は御池通りに面しており、通りの北側に二条城がある。御池通りには地下鉄東西線が通っているが、その工事に当たって発掘調査が行われ、いにしえの神泉苑の状況が判ってきた。その様子は、地下鉄二条駅の通路に展示コーナがあって、簡単な説明がなされている。すなわち、
『 神泉苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、敷地の北部には乾臨閣(けんりんかく)を主殿とし、右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。』・・・と。

なお、京都市の公式ホームページ「京都市情報館」というのがあって、神泉苑について次のような説明がなされている。すなわち、
『 平安京が造られた時,大内裏の南東に建設された苑池。当初の敷地は,北は二条大路,南は三条大路,西は壬生大路,東は大宮大路に囲まれた東西二町 (約250メートル),南北四町(約500メートル),総面積約13万平方メートル。かつて湖底だった地形の名残りがそのまま苑池として造作された広大な ものでした。 中島のある大池を中心に,敷地北東の泉から小川がそそぎ,乾臨閣(けんりんかく)を正殿にして,左右に楼閣や釣殿,滝殿などが配置され,外周には柳が植えられていました。 延暦18(799)年7月19日,桓武天皇(かんむてんのう)の神泉苑行幸を最初として,歴代天皇行幸の場となり,詩歌管弦,は やぶさを放って水鳥をとらえる遊猟,魚釣りなどの遊びが行われました。また,元慶8(884)年9月,舟三艘が神泉苑に贈られていることから,舟遊びも行 われていたようです。 』・・・と。


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