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2013年12月26日 (木)

六道の辻(その1はじめに)

六道の辻

その1 はじめに

コミュニティーとか環境の問題は、今あらためて関心を向けざるをえなくなったトポス(場)の問題で あるが、中村雄二郎によれば、そもそも「場所」というものは、そんなコミュニティーとか環境というような〈存在根拠(基体)としての場所〉のほかに、〈身 体的なものとしての場所〉、〈象徴的な空間としての場所〉、そして〈論点や議論の隠された所としての場所〉の三つがあるという。 

 三つめの〈論点や議論の隠された所としてのトポス場所〉というのが、私のいうところの「知のトポ ス」である。もっとも典型的な「知のトポス」は歴史的、文化的な場所であろう。その先のテーマを論ずるなかで場所のもつ意味が定まってくるから、人それぞ れが自分の「知のトポス」を作ることになる。

 私は、平和を論ずるために平和を考える旅をし、武家社会の源流を論ずるためにその由来を訪ねる旅を している。私は今ここで「うしろど後戸」の神というキーワードで「平和の原理」を論じようとしている。したがって、「後戸」の神、つまり怨霊、鬼、妖怪など日本のスピリットが出没する「場」が問題となる。京都はそういったスピリットがあちこちに出没する魔界都市だ。ここでは紙枚の関係があるので、とってお きの「場所」を紹介するにとどめよう.

 それは京の「六道の辻あたり」である。私にとって欠かすことのできない「知のトポス」である。

私は、文化の両義性を論ずるために『源氏物語』をとりあげ、地獄の旅をしたことがあ
る。
源氏物語の圧巻は宇治十帖であり、その伏線として六条御息所が重要な役割を果たしている。私は源氏物語の宗教的な側面に焦点を当てて人生の二面性を語ろうとしている。いうなれば天国と地獄である。急いではいけない。天国を語る前にどうしても地獄を語らねばならない。
私はまず、六条御息所の持つ地獄性について語った。
彼女の怨みの霊は、源氏ではなく、源氏の恋人たちに向かうのだ。次々と怨みを晴らしていくのである。娘の斎王に同行して伊勢に下りやがて死ぬのだが、彼女の霊は彼女が死んでもなお、源氏の愛人に取り付くのである。すさまじい霊の執念である。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/rokujyou.html

次いで私は、紫式部の隠れた世界として、地獄の世界を語った。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/jigokuta.html

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