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2013年12月 2日 (月)

平安京の道教遺跡(その3四神相応の地・平安京)

平安京の道教遺跡

その3 四神相応の地・平安京

以上述べた通り、桓武天皇は、道教というか道家の思想を若い頃からしっかり習得していたようである。母親高野新笠が何らかの形で百済王一族と繋がっていて、百済王一族の聖地交野に若い頃から度々遊びに行き、親しく師事する人から、大陸文化を教わった。その中に、きっと道教なり道家の思想があったにちがいない。

まず桓武天皇が全力を上げて取り組んだのは、平安京の建設である。長岡京では何故思いもよらぬ不幸な出来事が次々と起こったのか? どうもそれは,風水でしか説明ができないのではないか。風水的に見てもっとも良い地域はないか? 山背(やましろ)は風水的に見てどうか? 陰陽師の出番である。山背の地こそ風水的に見て最高の地である。経済的な背景をもとに、実質的に山背への再遷都を勧めたのは秦氏であった。政治的な決定は、大納言藤原小黒麻呂(おぐろまろ)と左大弁紀古佐美(きのこさみ)が行なった。かくして、桓武天皇の強い意思が、思想的にも経済的にも、さらには政治的にも実力者に支持されて、平安京建設という具体的なビッグプロジェクトとして実現されたのである。

それでは、以下において、桓武天皇の行なった「四神相応の平安京の都市建設」について説明をしていきたい。四神相応の地とは、「東に流水あるを青龍といひ、南に沢畔あるを朱雀といひ、西に大道あるを白虎といひ、北に高山あるを玄武といふ。」がそろう地である。これについては、「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、次のように述べている。すなわち、

『 和銅元年(708)に元明天皇が発した「遷都平城詔」(続日本紀)には、『朕、祇(つつし)みて上玄に奉りて、宇内に君とし臨み、菲薄(ひはく)の徳を以て、紫宮の尊きに処(お)れり。(中略)平城の地は、四禽図(しきんと)に叶ひ、三山鎮を作(な)し、亀巫(きふ)並びに従ひぬ」とある。「上玄」は天、紫宮は天帝の居所をいい、いずれも用語は道教的である。四禽とは、青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)を指すことは言うまでもない。新都造営にあたっての土地の卜占(ぼくせん)は陰陽寮の陰陽師に課せられていたことは、「令義解(りょうのぎげ)に、その職掌として「掌(つかさど)らむこと、占巫して地相(み)ること」とあることからも明らかである。この陰陽師の職掌をもって、道教そのものであるとはいえないとしても、それが道教の方術と共通のものであることは確かである。おそらく、このような土地の占いの方は、推古紀10年(602)10月の条に百済の僧・観勒(かんろく)によって暦の本・天文地理の書・遁甲方術の書がもたらされたとあるように、飛鳥時代には知られていたのであろう。四神については、道教教典「淮南子(えなんじ)」天文訓の五星(木星、火星、土星、金星、水星)についての記述の中にある。また、「抱朴子(ほうぼくし)」の雑応篇には、老君(老子)が神亀を腰掛けにし、どうじ20人を従え、左には青龍が12、右には白虎36、前に24の朱雀、後に72の玄武が控えているとある。いずれにしても「淮南子」や「 抱朴子」においては、四神思想は道教の体系の中に組み入れられていたとみることができる。』

『 平安京の建設に当たっても四神相応の地を占ったことはいうまでもない。 大納言藤原小黒麻呂(おぐろまろ)、左大弁紀古佐美(きのこさみ)らを遣わして、山背国葛野(やましろのくにかどの)の土地を調べに行かせた時、東大寺沙門・ 賢璟(けんきょう)が従ったことが、鎌倉末期の仏教史書「元享釈書(げんこうしゃくしょ)」にしるされている。 村井康彦氏によると、賢璟は皇太子時代の桓武天皇に、室生の山中で延寿法をほどこしていて、それが機縁となって、賢璟は密教寺院・室生寺を開創するという。この賢璟が延寿法をなし得ている点に、道教思想の影響が感じられる。』

『 四神相応の地とは、平安時代の陰陽家・安倍晴明撰の「簠簋内伝(ほきないでん)」巻四に「東に流水あるを青龍といひ、南に沢畔あるを朱雀といひ、西に大道あるを白虎といひ、北に高山あるを玄武といふ。」がそろう地とある。(注:平安京はまさに理想的な四神相応の地である。)』・・・と。


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