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2013年11月25日 (月)

伊勢神宮の道教遺跡(その2山に対する古代信仰)

伊勢神宮の道教遺跡
その2 山に対する古代の信仰

私は前に、「大山に対する古代の信仰は、山頂から出土する種々の遺物から十分推測できる。」と書いたことがあったが、これは大山の山頂から縄文時代の遺物が出ることを踏まえて書いたものである。縄文人大山との関係については、伊勢原を紹介する時に、次のように書いた。
現在、伊勢原は大山と切っても切れない関係の町であることは言うまでもないが、実は、大山との関係は縄文時代に遡るようだ。
大山の山頂に縄文時代の祭祀跡が発見されているが、大山は縄文時代から信仰の山としてあがめ奉られていたのは間違いない。
大山は古代から神々の住処であったのだ。このことを知る人は少なかろうが、大山山麓に住む縄文人が大山をあがめ奉っていたさまを想像して欲しい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/ooyamato.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/ooyama2.html
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/isehara.html
http://www.jomongaku.net/isehara-jomon/oyama-sancho.html

  小林達雄は、その著書「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)で縄文人と山との繋がり詳しく述べている。北海道の大雪山の山頂にも石器が出ているのだ そうだ。それが発見された大正年間から侃々諤々の議論があり、 狩猟目的、採取目的、交通目的、避難目的、宗教目的等 いろんな説が発表されている。
  小林達雄は言う。「大雪山の例は、北海道でもっとも高地の遺跡であるが、その中心の白雲岳はなだらかな相当広い緩傾斜に立地しており、土器は未発見なが ら、石鏃などの製品と多数の石器製作にかかわる石屑がある。ごく少数のメノウ製品以外はすべて黒曜石で、7カ所以外の原産地を含んでいる。その量と内容は 単なる交通路あるいは旅の途中に仮泊した程度を超えている。つまり冬を除く、いずれかの季節で活発に利用されたことを窺わせる。しかも周辺一帯からは早期 の石刃鏃をはじめ、石鏃の形態からは縄文晩期及び続縄文時代の特徴がみられ、再三再四にわたって幾度となく活動の場となっていたことを物語る。したがっ て、大雪山を仰ぎ見ていた縄文集団のいたことは充分に想像されるものの、そうした純粋な信念に突き動かされて登山したという痕跡を分離独立して遺物や遺構 から窺い知る証拠はない。」・・・と、誠に慎重な言い方をしているが、総合的な判断として、彼は大雪山の例を宗教的儀式の場所であったと言い切っている。

  小林達雄の上記著書によると、岩手県下には極めて興味深い発見があるという。八甲田山から縄文晩期の石刀の完成品が発見されているのだそうだ。石刀は石 棒・石剣と並んで日常的道具とは明瞭に区別される。縄文人の世界観に由来する「第2の道具」を代表する石製品である。これが残された山頂は高さの故だけで なく、日常行動圏の範疇を超えた性格を自ら備えている。また、中村良幸によれば早池峰山頂上から縄文土器と石器一点が発見されている。これまた日常生活舞 台の域をはるかに超えている。
 縄文人が信心から登山した例は、小林達雄の上記著書にさらにいくつか紹介されているが、ここでは省略する。ただし、私が先に述べた大山の例について、彼も少々述べているので、それを次に紹介しよう。

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