« 明日香の道教遺跡(その3冬野について) | トップページ | 明日香の道教遺跡(その5両槻宮とは?) »

2013年11月18日 (月)

明日香の道教遺跡(その4冬野を中心とする山道)

明日香の道教遺跡
その4 冬野を中心とする山道
私は、先に、「自動車時代になったのは極く最近のことであり、昔は山道が盛んに使われた。旧石器時代や縄文時代の幹線道路はもちろんのこと、近年まで人々は尾根筋を中心とした山道を往き来したのである。したがって、冬野は交通の要所であって、峠には茶店があって繁盛したにちがいない。古代の状況は想像するほかないが、冬野が交通の要所であったことは間違いない。そして、斉明天皇の建立した道観に奉仕する人たちが住んでいたことに想いを馳せて欲しい。」・・・と申し上げたが、冬野を中心とする山道に関するホームページがあるので、次にそれを紹介しておきたい。

http://blog.livedoor.jp/satoyamasukune/archives/51325602.html


さらに、江戸時代、松尾芭蕉が冬野の臍峠(へそとうげ)を通っており、「笈の小文(おいのこぶみ)」に「臍峠、多武峰より竜門へ越道也」の前文がつけられた「多武峰、雲雀より空にやすらふ峠哉」と詩っているので、そのホームページも紹介しておきたい。

http://www.haikai.jp/joho/oinokobumi/oi8yosin.html

以上、斉明天皇が「道観・両槻宮(ふたつきのみや)」を建立された多武峰(とうのみね)について縷々説明してきた。では、そもそもいよいよ「両槻宮(ふたつきのみや)」とはどういうものなのか?「両槻宮(ふたつきのみや)」というものが道教とどのように繋がっているのかを次回に解説したい。

« 明日香の道教遺跡(その3冬野について) | トップページ | 明日香の道教遺跡(その5両槻宮とは?) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/53967730

この記事へのトラックバック一覧です: 明日香の道教遺跡(その4冬野を中心とする山道):

« 明日香の道教遺跡(その3冬野について) | トップページ | 明日香の道教遺跡(その5両槻宮とは?) »