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2013年11月14日 (木)

吉野の道教遺跡(その6青根ヶ峯)

吉野の道教遺跡(その6青根ヶ峯)

さて、いよいよ「青根ヶ峯」の説明に移ろう!

仙境は山地にある。宮滝のように清らかな水と滝つ瀬と呼び得るような美しい風景に恵まれているとともに、植生豊かながなければならない。植生豊かな山には必ずさまざまな動物がいる。そういう山地には、縄文時代から人々が住み着いていた筈だ。したがって、そこには縄文遺跡がなければならない。さらに、そういう山地が、仙境と意識されるには、奥山に神の降臨する聖山がなければならない。宮滝は正にそういう仙境である。宮滝の奥山に見える聖山こそ冒頭に述べた「青根ヶ峯」である。

「青根ヶ峯」への登山については、次のホームページに詳しく書かれているので、それをご覧戴きたい。
http://sakag.web.fc2.com/oomine1.htm

冒頭に述べたように、 「青根ヶ峯」は金峯山(きんぷせん)の一角をなしている。金峯山は吉野山から山上ヶ岳に至る連峰の総称である。通常、金峯山寺を金峯山と言ったりするので紛らわしいが、厳密には、吉野山から山上ヶ岳に至る連峰の総称であることを認識しておいて欲しい。また、吉野山とは、近鉄の終点「千本口」から「青根ヶ峯」に至る尾根筋を言う。これも、一般的には、金峰山寺、吉野脳天大神、吉水神社、勝手神社、喜蔵院、桜本坊、竹林院、如意輪寺、吉野水分神社などの下千本、中千本、上千本を言っているようだ。厳密には、金峯神社や青根ヶ峯などの奥千本も含んだものが吉野山である。

なお、吉野山については、後醍醐天皇のことに触れておかねばなるまい。紆余曲折の後、後醍醐天皇が京都からこの吉野山に難を避けられ、いわゆる南北朝時代が始まったのである。それは、壬申の乱において天武天皇がこの吉野に拠点を置かれた、そのことに習ってのことであって、吉野が再起を図るにふさわしい場所であるからである。ただし、皇居は宮滝ではなく、難攻不落の地形をした吉野山であった。そのことについては、吉野町の公式ホームページに正確に書かれているので、この際、紹介しておく。吉野町の公式ホームページには次のように書かれている。すなわち、

『 1336(延元元)年、吉水院に難を避けられた後醍醐天皇は、次に蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪王寺と改められました。後醍醐天皇は悲運の生涯をここで閉じられましたが、その後、南朝3代の歴史が続きます。徳川時代になり家康は、吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、寺号を没収。もとの実城寺に戻し、直轄の支配下におきました。明治時代になると廃仏毀釈の嵐にのまれて廃寺に。いまは南朝妙法殿が建ち、皇居跡公園として整備されて、後醍醐天皇以下、南朝4帝の歌碑も建っています。』・・・と。

http://www.town.yoshino.nara.jp/kanko-event/meisho-kanko/shisetsu/yoshinoyama/kokyoato.html

道教に思いを馳せるには、吉野観光として、是非とも時間を作って、「青根ヶ峯」まで登り、再び下って上千本から、さらに「吉野・万葉の道」を下って、「宮滝」と「吉野歴史資料館」を見て欲しい。

吉野には良い旅館が多いし、宮滝から近鉄「大和上市」までバスもある。

それでは最後に、吉野山の観光ハイライトを紹介しておきましょう!

http://www.youtube.com/watch?v=D8jo4PtUOv0

http://www.youtube.com/watch?v=TH04rAJPzco

http://www.youtube.com/watch?v=qnu8iFN8gDU

http://www.youtube.com/watch?v=BeuakXdVdN8

http://www.youtube.com/watch?v=SozP498Hdpk


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