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2013年11月17日 (日)

明日香の道教遺跡(その3冬野について)

明日香の道教遺跡
その3 冬野について
さて、冬野で申し上げたいことが二つある。
一つは山道のことである。自動車時代になったのは極く最近のことであり、昔は山道が盛んに使われた。旧石器時代や縄文時代の幹線道路はもちろんのこと、近年まで人々は尾根筋を中心とした山道を往き来したのである。したがって、冬野は交通の要所であって、峠には茶店があって繁盛したにちがいない。古代の状況は想像するほかないが、冬野が交通の要所であったことは間違いない。そして、斉明天皇の建立した道観に奉仕する人たちが住んでいたことに想いを馳せて欲しい。
言いたいことの二つ目は、冬野の近くの多武峯(とうのみね)は、現在、関西電力のマイクロウェーブの中継基地があるということだが、そこからの四方を眺める眺望が素晴らしいということである。「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、『 吉野の青根ヶ峯や山上ヶ岳などの聖山も望め、斉明天皇が冬野に両槻宮(ふたつきのみや)を建てても決して不思議ではない。』・・・と書いている。

冬野は明日香村に属するが、車で行く場合は、石舞台のある明日香村の中心地から、飛鳥川に沿って吉野方面に南下し栢森(かやのもり)から行くか、石舞台の東の細川というところから行くか、いずれにしても上畑の集落を目指す。
談山神社からの山道は車では行けない。このルートは昔の山道であるので、歴史的な意味があるし、良いハイキングコースなので、ほとんどの人は談山神社からのルートを行く。したがって、ネートサーフィンしていると、現在の冬野の画像が見当たらない。しかし、現在の冬野はほとんど人影を見かけないが、立派な集落で、昔は人びとがイキイキと暮らしていたのだ。一口に冬野と言っても、現在の冬野は狭いながらも車も通れ、舗装もしてあって、町の風景。ネットに出てくる冬野の風景は田舎の風景そのもの。とりあえずは、現在の冬野を紹介したい。

冬野のすぐ近くに宮内庁管理の「亀山天皇の皇子・良助親王の墓」があるが、上畑からきて、少し先まで立派な道路がある。その先200mほどは狭い道路になるが、冬野の集落に着く。
談山神社からくる山道は、上畑、 良助親王の墓からの車道にTの字にぶつかる。木村氏宅の少し西である。木村氏宅から裏山まで車道がついていて、その奥に波多神社がある。手前に、「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)に述べられている関西電力のマイクロウェーブがある。ここが多武峰であり、冬野の裏山だ。冬野城の跡もあり、多武峰の頂上付近は結構広い。道観(どうかん)・両槻宮(ふたつきのみや)が建立されたのも十分頷ける話だ。

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