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2013年11月 2日 (土)

天命による中華の政治

天命による中華の政治

私は先に孟子の天命思想についての金谷治の説明を紹介し、次のように述べた。すなわち、
『 どうも金谷治は民主政治を理想の政治形態だと考えているようである。しかし、中国のような民主主義の歴史のまったくない国において、そもそも民主政治が良いのかどうかについては、よくよく吟味しなければならない。つまり、金谷治は「 孟子の天命思想は、民衆のための政治ではあっても、民衆の権利を正当に認める近代的なデモクラシーの思想では、ついになかった。」と言うが、それはその通りだとしても、問題は、中国のような国ではたしてデモクラシーの思想で統治していくのが良いのかどうかという問題であるし、さらに金谷治は「 孟子の天命思想は、 封建体制の維持にとっては、きわめて好都合な思想であった。」と言うが、中国がこれから近代化を進めていく上で、孟子の天命思想がいちばんふさわしいのかどうかという問題である。この問題は、中国を統治していく上での根本的な問題であって、孟子の天命思想の対極にあるデモクラシーの思想で良いのかどうかという問題である。私は、中国のような5000年の歴史によって成り立っている国においては、やはりその歴史を重んじて、この際、孟子の天命思想に立ち返ることができるかどうか、それが中国の為政者に問われているのだと思う。それを以下において、考えてみたい。』・・・と。
そこで、まずは、中国における5000年の歴史を踏まえて、政治思想としての天命思想を現在どのように認識すべきなのか、私の教科書「おどろきの中国」(橋爪大三郎、大沢真幸、宮台真司共著、2013年2月、講談社)から参考になる記述を紹介しておきたい。彼らは次のように言っている。すなわち、
『 本来、デモクラシー(人のなす政治)の反対概念は、シオクラシー(神のなす政治)です。だから、中国共産党を神の織りなすパンテオンだと理解したり、毛沢東を神だと見なせば一貫しそうな気もする。(注:毛沢東は神ではないが、天命(神の意思)を受けて中国共産党王朝を打ち立てた皇帝と見なすのが正しい見方である。ただし、現在の中国共産党王朝は世襲制ではなく、中国共産党の最高指導者が国の最高権力者になるという点で、歴代王朝の皇帝とは異なる。そういう意味で私は、中国共産党の最高指導者を「今皇帝」と呼ぶこととしている。)』
『 中国は必ずしも「中国」とは呼ばれてこなかった。その時々の、統一政権の固有名で呼ぶものなのです。秦、漢、唐、明などと。(注:天命によって行なわれる政治、それが中華の政治である。現在、中国の正式名は中華人民共和国であり、やはりそこには中華思想が連綿と流れているように思われる。)』
『 中国と比べると、ヨーロッパでは政治的統合が遅れた。かわりに、宗教的統合が先行した。中国の場合は順序が逆で、複数の政治的まとまりの対立・抗争がおこった。ちょうどその時期に、諸子百家が生まれている。これは、いろいろな政策的オプションを提供するものだった。統一政権をつくるなら、この政策的オプションを採用してはどうですか、という提案だった。しかし、中国の場合は、政治的統一が根本で、政策的オプションは選択の対象、という順番は変わっていないでしょう?ここに中国の本質がある。(注:中国は古来、政治的まとまりの対立・抗争が激しく、その秩序を確立する必要性から天命思想が発達したと思われる。天命思想は、まず政治的統一と安定がまず先にあって、政策はその次にある。政策が悪ければ、また天命によって別の王朝が誕生する。政策の善し悪しよりも、まず先に王朝ありきなのである。)』
『 天が何をするかというと、政府に統治権を授与する。それだけなのです。(中略)ではどういう場合に、天命が下るか? 「孟子」などの考えを要約すると、その実体は、農民の総意である。政治がうまいっていて、農民の支持が調達されている限り、この政権は正当だと証明されたことになる。でも裏返せば、農民が不満をつのらせれば、革命が起こりうる。この繰り返しなんです。』
『 毛沢東が農地再配分をしたということ、それによって農民の支持をどんどん獲得していき、各地に根拠地がつくられていったということ、そうした事実自体がポイントです。もちろん、農地再配分を支えるイデオロギーがあったかも知れないけれど、農民が支持したのはイデオロギーそのものでは到底ありません。つまり、毛沢東が語るイデオロギーが何であるかということは、実は判っても判らなくてもさして違いはないのです。毛沢東の行なった農地再配分を含めた実践を評価するが故に、人びとが毛沢東という人を評価し、まさにそれ故に、毛沢東にこそ天命が下っているはずだというふうにとらえた。そんな気がします。イデオロギーという抽象的な概念的原理は、毛沢東についていく民衆には見えても見えなくてもあまり関係がなかったのではありませんか?』
『 神と違って、天は人格がない。最後の審判もない。天命によて統治権力をある人に与えた後、チェックがない。契約ではなくて、「丸投げ」(中国語で「承包<チャンパオ)>という。)なんです。丸投げだから、チェックをかける基準がない。そこで、政治権力者として振る舞うというパーフォマンスをやり続けるのが自己正当化になる。このシステムでずっと来ているわけです。』
『 天が毛沢東に権力を丸投げし、毛沢東に個人的な欠陥がある。でもこれを承認する。そしてあたかも、個人的な欠陥などないように、彼に従う。周恩来がやったことも、鄧小平がやったことも、これだと思う。』・・・と。

先に述べたように、天命思想による政治、それが中華のあるべき政治であるが、はたして習 近平がそういう政治を今後やっていけるかどうか? 私は、今皇帝になった習 近平に是非それをやってもらいたいと願っている。そのためには、孟子の天命政治を貫いてほしいし、日本と一緒になって世界平和路線を歩んで欲しい。それが習 近平に期待するものである。
そのためには、習 近平が今皇帝として中国共産党王朝に君臨し、中国共産党の中で絶対的な権力を持たなければならない。その前提条件として、習 近平は軍を掌握することと農民の支持を受けることが必要である。その上で、中華政治として世界平和路線のための政策を打ち出すことが必要である。覇権主義はもってのほかである。習 近平がそれらのことができる人物であるのかどうか、以下において少し考えてみたい。

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