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2013年10月 9日 (水)

南京攻略の背景(その3第二次上海事変が勃発)

南京攻略の背景(その3 第2次上海事変が勃発)

先に述べたように、 1937年8月13日、日本人保護と上海市街警備のために駐留していた海軍陸戦隊 (約4000人)の本部付近に、蒋介石直系の中央軍が山砲、迫撃砲による集中砲火を浴びせてきたのである。第2次上海事変の始まりである。 攻撃の命令者は蒋介石、実行部隊である中央軍の指揮官は張 治中 であった。この張 治中は共産党に入党していた、つまり、隠れ共産党員 だったことが最近になって指摘されている。
なお、 砲撃4日前の8月9日、大山勇夫中尉(陸戦隊の第1中隊長)の乗った陸戦隊の乗用車が中国保安隊に襲われ、運転していた兵ともども惨殺された事件が起こるなど、中国側からの挑発、敵対行為が目立っていたのであるが、遂に、1937年(昭和12年)8月13日、第2次上海事変が勃発したのである。


華中を足場とする蒋介石は、華北の戦いに重点を置くのは用兵上からも不利と判断し、主戦場を華北から華中に移そうと企てていたので、挑発・敵対行為はこの文脈に沿ったものだったのであろう。蒋介石にすれば日本軍を華中に引き込めば勝算ありと考えたに違いな
い。 というのも、満州事変のとき、上海は戦火が満州から飛び火し、日本軍と2ヵ月近くにわたって激戦のあった地域であった(第1次上海事変)。両者の間で停戦協定が結ばれ、非武装地帯が作られるが、蒋介石はドイツ人軍事顧問団の協力のもと、非武装地帯となった上海の北に網の目のように走るクリークを活用した強固なトーチカ陣地を、また上海と南京の間にも堅固な陣地を構築し、日本軍との戦に備えていたのである。準備万端おさおさ怠りなしという訳だ。しかも集結した中央軍主力は20万人という大兵力であったのである。これで日本軍に負ける訳がない、と蒋介石は考えていたのだ。

第2次上海事変では蒋介石から仕掛けられて、日本は受けて立った。当初は、作戦本部の命令により、作戦地域は「蘇州・嘉興ヲ連ネル線以東」に制限されていた。しかし、11月24日になって、第1回大本営御前会議で中支那方面軍の作戦地域の制限が解除される。ただしこの場合でも、多田次長より南京方面への進撃はしないよう打電されている。にもかかわらず、翌日の11月25日に、中支那方面軍が独断で南京へ進撃開始した。軍規違反である。
そして、12月1日遂に、大本営は大陸命第七号を発令し中支那方面軍戦闘序列を編成、大陸命第八号「中支那方面軍司令官ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スヘシ」を発令し、南京攻略を命令するに至るのである。その間、南京攻略に消極的な者と積極的な者とでいろんな駆け引きがあったらしい。しかし、遂に、中支那方面軍の動きを擁護する積極派が勝って、南京攻略の命令が下ることになるのである。


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