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2013年10月31日 (木)

薄熙来(その1紅い皇帝、薄熙来)

薄熙来

1、紅い皇帝・薄熙来

薄熙来(はくきらい)は、保守派の旗手として第17期中国共産党中央政治局委員兼重慶市党委員会書記を務めた。

薄が赴任した重慶市は、1997年に「西部開発の拠点」とするため4番目の直轄市に格上げされた都市であった。しかしながら、薄が赴任するまでの 10年間は外資投資が進展しなかった。2003年までの投資総額は5億ドルに届かず、2003年から2007年の合計もわずか10億ドルだった。ところ が、薄が赴任し外資導入に着手すると、2008年の外資の投資額は対前年比170%増の27億ドルとなり、翌年には39億ドルを達成した。薄は年16%を超える超高度経済成長をつくり上げ、重慶の庶民に発展の恩恵を実感させた。
その一方で薄は、貧富の格差が深刻で、腐敗した役人や警察ら権力者が威張り散らし、それに大衆の不満が爆発している重慶社会の危険な現実を的確に把握していた。重慶での政治実績を以て、来る第18回党大会で最高指導部である中央政治局常務委員会入りを目論む薄は、低所得者層に未だ根強い毛沢東の政治手法をまねて民衆の支持を獲得しようとした。「共同富裕」のスローガンを掲げて格差是正や平等・公平をアピールし、民衆をひきつけた。そして、大衆を動員し毛沢東時代の革命歌を歌わせる政治キャンペーン「唱紅」を展開した[6]。「唱紅」の目的は古き良き共産党のアピールであったが、これが思わぬ懐古ブームを巻き起こし、人々から好評を得た。また、2009年6 月からは犯罪組織一斉検挙キャンペーンである「打黒」を展開した。同年7月より市公安局などを巻き込んだ大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上 を摘発。

重慶における薄の施政は、中央の幹部にも好意的に評価する声が多かった。江沢民派(上海閥)の呉邦国(党中央政治局常務委員・全人代常務委員長)、李長春(党中央政治局常務委員)、賀国強(党中央政治局常務委員)や、太子党の習近平(党中央政治局常務委員・国家副主席)などは、薄の施政を「重慶モデル」と称賛した。薄の施政は、行き過ぎた市場経済を追求した改革の結果、平等・公平という社会主義の本質が失われたと批判し、毛沢東時代への郷愁を前面に出している。これは胡錦濤・温家宝が目指す「鄧小平路線の進化」と対立するものであった。薄は重慶市民の支持を背景に胡温体制と対峙し、重慶を独立王国と化していった。

2011年11月中旬、重慶のホテルで大連時代から薄熙来一家と懇意であった英国人実業家のニール・ヘイウッドが死亡しているのが発見された。当初、重慶市当局はすぐに死因を急性アルコール中毒としていたが、のちに関係者の証言からヘイウッドが禁酒家であることが明らかとなり、殺人の疑惑が急浮上した。イギリスは中国に英国人実業家死亡事件の全容解明を要請した。重慶市公安局長で薄の腹心であった王立軍が捜査責任者として、重慶市公安局が英国人実業家死亡事件について再捜査に着手した。重慶市公安局は捜査によって、薄の妻の谷開来(中国語版)と薄の生活秘書が英国人実業家を毒殺したこと、英国人実業家が関与した薄一家が数十億ドルにものぼる不正蓄財した財産を海外送金していた疑惑があること、薄一家が不正蓄財した財産について谷開来とヘイウッドとの間に諍いがあったことが事件のきっかけであることを把握した。

薄は記者会見を開き、「自分は汚職の調査対象ではない」と述べたが、3月14日、国務院総理の温家宝は、全人代閉幕後の記者会見で、薄の「唱紅・打黒」運動を文化大革命になぞらえて批判した。3月15日、党中央組織部は、薄の重慶市党委書記職解任を発表した。
4月10日、新華社は、 ニール・ヘイウッドは他殺であり、この事件に薄熙来の妻・谷開来らが関与していること、谷開来らがすでに司法当局に身柄を送られたことを公表した。そして この日、党中央は、薄熙来に重大な規律違反があったために中央政治局委員・中央委員の職務を停止し、党中央規律検査委員会に審査をゆだねたことを公表し た。
9月28日、党中央は中央規律検査委員会の調査結果を受け、薄を党より除名、公職より追放し、また刑事訴追することを決定した。10月26日、全人代常務委員会は薄熙来の代表資格の取り消しを決定。これにより、薄は全ての公職から追放された。
2013年7月に薄熙来に対して、遼寧省時代の職務に絡んだ約2000万元(約3億2000万円)の収賄罪と約500万元(約8000万円)の横領罪、重慶市共産党委員会書記時代の職権乱用罪で起訴されたことが発表された。

「薄熙来はまさに紅い皇帝だった。共産党一党独裁体制の中国では、地方の党最高幹部は、その地方の皇帝なのだ」。 こう語るのは、重慶市トップや党政治局員などの職務を突然解任された薄熙来氏(62歳)をよく知る中国人ジャーナリストだ。取材を通じて、薄氏の人柄や生活など「プライベートな面も見てきた」という。薄氏の重慶の自宅の様子を次のように描写する。「重 慶市街を見下ろす小高い丘の上に屋敷があり、鬱蒼とした竹林に囲まれていた。広々としたホールで待たされていると、召使いのような男性が現われ『こちら へ』と案内された。部屋がいくつもある、まさに『王様の邸宅』といった豪華な作りで、廊下にはところどころに古い絵画が飾られていた。
 建物は1棟だけでなく、棟続きにつながっている次の建物に入ると、すべてが竹作りで、見る者すべてを威圧するような、歴史を感じさせる応接間があり、そこに薄熙来が待っていた」・・・と。

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