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2013年10月26日 (土)

毛沢東の長征(その1毛沢東の本質)

毛沢東の長征

1、毛沢東の本質

中国のことを考える場合、「おどろきの中国」(橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司、2013年2月、講談社)は必読の教科書であると思う。以下においてこの著書を私の教科書と呼ぶこととする。この私の教科書は、橋爪大三郎を中心に三人の鼎談がすすめられているのだが、橋爪大三郎は、中国研究のスペシャリストである。中国についての著書も多く、奥さんの張静華さんは中国人で、当然のことながら、橋爪大三郎は日常的に中国と接している。中国には、彼の友人や親戚は多く、彼の中国語もネイティブなみであると言う。橋爪大三郎の中国に関する知見はまさに核心を突いている。
そこで、毛沢東の長征を説明するに当たって、まず、この私の教科書から毛沢東に関する核心部分を紹介することとする。その部分というのは次の通りである。すなわち、

『 毛沢東の権力に関連して、10億人前後の人を統治する権力が如何なるものだったのか、どうしてそうしたことが可能だったのか。とても興味深い問題です。』

『 毛沢東は、ほとんどイデオロギーに内実らしいものがない。毛沢東は、ヒトラーとはちがって、国民の前で演説はしませんよね。とすると、毛沢東の支配に正当性を与えていたイデオロギーは何なのか。』

『 毛沢東が農地再配分をしたということ、それによって農民の支持をどんどん獲得していき、各地に根拠地を作っていったということ、そうした事実自体が、むしろポイントだったのではないでしょうか。』

『 農民が支持したのはイデオロギーそのものでは到底あり得ません。つまり、毛沢東が語るイデオロギーが何であるかということは、実は判っても判らなくてもさして違いはないのです。毛沢東が行なった農地再配分を含めた実践を評価するが故に、人びとが毛沢東という人を評価し、まさにそれゆえに、毛沢東にこそ天命が下っている筈だというふうにとらえた。そんな気がします。イデオロギーという抽象的な概念的原理は、毛沢東についていく民衆には見えても見えなくてもあまり関係がなかったのではありませんか?』

『 例えばキリスト教会の場合、人びとがドグマに縛られ、リーダーもドグマに縛られる。ドグマに違反するリーダーは打倒されたり、交代させられたりして、運動が持続する。こういうことが中国共産党にあってはならない訳だから、中国共産党には本当の意味でのドグマは存在しない。指導部が正しいと考えることが正しいのであって、他の人たちはそれを学習しなければならない。「指導部が正しい」という前提が、ドグマなんです。それ以上踏み込んで、具体的なドグマを信奉する人間は、かえって粛正されてしまう。』

『 毛沢東は、死後も、旧ソ連や東欧の社会主義諸国のリーダーたちのように100パーセント偶像が破壊されるということはなくて、基本的には今でも、優れた指導者だったということになっている。おどろきです。中華人民共和国になってから毛沢東が行なった政策の中でも、大躍進政策と文化大革命は、特に大きな失敗だったと思います。』

『 毛沢東は、ある意味で、伝統中国における皇帝とまったく同じと考えたらどうだろうか。<毛沢東は皇帝である><共産党の中国は毛沢東王朝である>という命題は、社会学的に見て正しい主張なのか。それとも根本的に誤った権力の性格付けになるのか。』

『 毛沢東は皇帝か。イエスであり、ノーですね。(中略) 毛沢東が皇帝そのものかというと、決定的な点が違っていた。毛沢東の共産党は、伝統中国の官僚制に比べ、はるかに社会の末端まで支配の根を下ろしているという点。伝統中国の政権は、社会の基層のローカル・コミュニティの自立性を認めて、いちいち干渉しないんです。けれども、毛沢東の共産党政権は、党組織の末端を村に伸ばした。どの村にも党書記を置き、工作隊を送り込んで、土地改革(再配分)、合作社、人民公社などの政策を実施した。農村の現場に直接、党の指令を送った。学習会を開き、地主や反革命分子を打倒し、政治運動を行なう。いつも新しい目標、新しい敵を見つけ出し、大衆を動員した。都市にも、新しい共産党のユニットを作った。<単位>と呼ばれるものです。』

『 伝統中国の皇帝と官僚の権力は、宗族の中には及ばない。しかし、毛沢東や共産党の権力は、単位のあり方にまで及んでいる。』

『 天は、天命によって統治権力をある人に与えた後、チェックがない。契約ではなくて、丸投げなんです。丸投げだから、チェックをかける基準がない。そこで、政治権力者として振る舞うというパフォーマンスをやり続けるのが自己正当化になる。このシステムでずっときているわけです。』

『 天が毛沢東に権力を丸投げした。毛沢東に個人的な欠陥があっても、それを承認する。人びとは、毛沢東にあたかも欠陥などがないように彼に従う。周恩来がやったことも、鄧小平がやったことも、これだと思う。』・・・と毛沢東の本質が語られている。

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