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2013年10月19日 (土)

司馬遷の史記について(その2天命思想)

司馬遷の史記について
2、政治思想としての天命思想

上述したように、史記では、歴史的事実を踏まえて、後世の人にも「天命がありながら何故悪が栄えて善が割りを食うのか?」という基本的な問題を意識してもらい、天命思想に対する思索を深めてもらおうという意図が隠されている。
このことに関連して、(「白川静の世界Ⅲ・・・思想・歴史」、2010年9月、立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所)では、次のように言っている。すなわち、
『 中国における合理主義的な精神の萌芽は、天命思想に発している。天意は民衆を媒介として表現され、為政者が天の徳を見に修めていれば、民意の支持を受けられる。民衆の存在を自覚するこのような政治思想が天命思想である。天命思想は、古代的な宗教と政治とを切り離した。宗教に重点があった殷王朝が滅亡し、民衆を意識した理性的政治に重点をおく周王朝が興った。これが、殷周革命の思想的意味である。また、周の文化は儒家的であり、殷のそれは道家的なものに近く、この二つの止揚的に統一されるところに、中国の文化の本質がある。』・・・と。

すなわち、天命思想は古代的な宗教と政治とを切り離した。そして、それが発端になって儒教的な合理主義的な精神が芽生えてくるのでだが、本来、儒教的なものと道家的なものとは矛盾するものがある。それを止揚的に統一することが必要で、司馬遷はそのために史記を書いたのである。

レヴィナスによると、史記のような価値ある書籍は「無限」としての価値を有しており、それをもとに研究が進められて、宇宙の原理、それは老子の言う「道」ということであるが、それを少しでも明らかにすることが可能である。内田樹は、中沢新一との対談(「日本の文脈」2012年1月、角川書店)の中で、次のようなことを言っている。すなわち、

『 ユダヤには「脳の機能を活性化する」構造がある。例えば、ユダヤ教においては、常に「中心が二つ」あって互いに真剣な議論がされている。タルムードにはエルサレム版とバビロニア版の二つのバージョンがあるし、タルムードを研究する学院も二カ所あり、同時代に必ず二人の偉大なラビが出てきて、おたがいに激烈な論争をする。だから、一つの結論に落ち着くということがない。ユダヤ教の聖典であるタルムードは「増殖する書物」なんです。』・・・と。タルムードと同じように、司馬遷の「史記」は「増殖する書物」としての価値を持っている。今後、司馬遷の「史記」にもとづいて大いに研究が進んで、
冒頭に掲げた「天命がありながら何故悪が栄えて善が割りを食うのか?」という基本的な問題に対して、哲学的な思索が重ねられていくことを期待したい。

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