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2013年10月30日 (水)

毛沢東の長征(その4総まとめ)

毛沢東の長征
4、総まとめ

中国のことを考える場合、「おどろきの中国」(橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司、2013年2月、講談社)は必読の教科書であると思う。それによると、毛沢東に関する核心部分の問題として、『 毛沢東は、ある意味で、伝統中国における皇帝とまったく同じと考えたらどうだろうか。<毛沢東は皇帝である><共産党の中国は毛沢東王朝である>という命題は、社会学的に見て正しい主張なのか。それとも根本的に誤った権力の性格付けになるのか。』・・・という命題がある。そうなのだ。毛沢東は伝統中国における皇帝と同じなのである。彼は天命を受けたのだ。私はすでに「天命」について縷々語ってきたが、毛沢東は間違いなく天命を受けたのである。したがって、毛沢東は、今では国民統合の象徴になっている。日本の天皇もそうだが、国民統合の象徴というものは、これを冒してはならない。毛沢東も日本の天皇も絶対なのである。

では、毛沢東が天命を受けて今皇帝となり、遂に現在のような国民統合の象徴になった、その初期の経緯について説明をしていきたい。毛沢東は中国共産党の歴史にその名を刻むのは1921年の中国共産党第一次全国代表大会からである。毛沢東は湖南省長沙の代表としてその大会に出席している。その大会では中国共産党綱領が決議されたのだが、その後の活動ははかばかしくなかったらしい。そこで、毛沢東は、井崗山(せいこうざん)に立て籠ってまず活動の拠点を作る。その頃の毛沢東集団は山賊みたいなものであったらしい。井崗山は、江西省と湖南省の省境に位置し、羅霄(らしょう)山脈に属する急峻な山である。
1927年に井崗山を最初の革命根拠地として選んだ毛沢東は、1929年から1931年にかけて、湖南省・江西省・福建省・浙江省の各地に農村根拠地を拡大し、地主・富農の土地・財産を没収して貧しい農民に分配するという「土地革命」を実施していった。
そして、毛沢東は江西省瑞金に建設された中央革命根拠地である「江西ソビエト」に移り、1931年11月、瑞金を首都とする「中華ソビエト共和国臨時中央政府」の樹立を宣言してその主席となった。

「長征」は、蒋介石率いる国民党軍に敗れた中国共産党(紅軍とも呼ぶ。以下に同じ。)が、中華ソビエト共和国の中心地であった江西省瑞金を放棄し、1934年から1936年にかけて国民党軍と交戦しながら、1万2500kmを徒歩で続けた移動をいう。「西遷」(せいせん)、「大西遷」ともいう。中国国民党からは「大流竄」と呼ばれた。長征は、江西省からスタートして、貴州省、雲南省、四川省、陜西省、山西省と、中国の奥をぐるっと回って、内モンゴルのすぐ近くの黄土丘陵地帯を目指したのである。それは、どのような考えであったのであろうか? ひとつは、多分ソ連からの援助が受けやすい。もうひとつは、日本軍や国民党軍の攻撃を受けにくい。三番目は、北京に入場しやすい。私の教科書「おどろきの中国」ではそう述べている。天帝は、天命によって権威を与えるけれど、権力を与える訳ではない。農民の心をつかみ、天命を受ける資格を得たけれど、毛沢東は自分自身で戦略を考え、自力で権力を握らなければならない。毛沢東は見事それをやったのだと思う。

それでは、「毛沢東の長征」について、画像も含めてより詳しい「総まとめの」のページを作ったので、是非、次をご覧戴きたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/moutyousei.pdf



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