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2013年10月14日 (月)

満州事変の要点

満州事変の要点

満州事変とは、1931年(昭和6年)、満州の奉天(現在の瀋陽市)の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。満鉄は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで満州国に存在した日本の特殊会社である。鉄道事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満洲経営の中核となった。本社は関東州大連市であるが、のちに満州国が成立すると満州国首都の新京特別市に本部が置かれ、そちらが事実上の本社となった。また東京市麻布区麻布狸穴町に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。
日露戦争の戦場であった満洲は清朝の主権下にあった。満洲族による王朝である清は建国以来、父祖の地である満洲には漢民族を入れないという封禁政策を取り、中国内地のような目の細かい行政制度も採用しなかった。開発も最南部の遼東・遼西を除き進んでおらず、こうしたことも原因となって19世紀末のロシアの進出に対して対応が遅れ、中東鉄道やハルピンを始めとする植民都市の建設まで許すこととなった。さらに義和団の乱の混乱の中で満洲は完全にロシアに制圧された。

そうこうしているうちに日露両国が開戦し、清国の領土で他国同士が戦うという事態となった。終戦後日本は、当初唱えていた満洲に於ける列国の機会均等の原則を翻し、日露が共同して利権を分け合うことを画策した。こうした状況に危機感をつのらせた清朝は直隷・山東からの漢民族の移民を奨励して人口密度の向上に努め、終戦の翌々年の1907年には内地と同じ「省・府・県」による行政制度を確立した。さらに同年には袁世凱の北洋軍の一部が満洲に駐留し、警察力・防衛力を増強するとともに、日露の行動への歯止めをかけた。また、日露の持つ利権に対しては、アメリカ資本を導入して相互の勢力を牽制させることで対抗を図ったが、袁世凱の失脚や日本側の工作もあり、うまくいかなかった。また、1917年のロシア帝国崩壊後は日本が一手に利権を獲得した。

関東軍はわずか5ヶ月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化していったのである。
実は、若槻内閣は南次郎陸相、金谷範三参謀総長らとの連携によって、関東軍の北満進出と錦州攻略を阻止しようとしていたのであるが、もはや軍部は、内閣総理大臣の言うことを聞かず、独りよがりの暴走をし始めていたのである。そのことについては、若槻禮次郎の自伝の中で次のように述べている。すなわち、
『 昭和六年の九月初めのある朝、私は驚くべき電話を、陸軍大臣(南次郎)から受けた。それによると、昨夜九時ごろ、奉天において我軍は中国兵の攻撃を受け、これに応戦、敵の兵舎を襲撃し、中国兵は奉天の東北に脱走、我兵はいま長春の敵砲兵旅団と戦を交えつつある、という報告であった。これがいわゆる満州事変の第一声であった。そこで政府は、直ちに臨時閣議を開き、事態を拡大させないという方針を定め、陸軍大臣をして、これを満州の我軍に通達させた。これは我国が、九国条約や不戦条約に加盟しているので、満州における今度の出来事が、それに違反するかどうかを確める必要があるので、その間事態の拡大を防ぐのが当然であるから、その措置を取ったのであった。それから政府は毎日のように閣議を開き、陸軍大臣を促がし、命令の不徹底を責めたのであるが、満州軍の行動は、政府の命令にも拘らず、ますます、進展してやまなかったのである。』・・・と。

満州事変は、日本軍によって傍若無人の振る舞いによって、日本が中国において西欧列強の植民地よりさらに苛酷な暴力支配を行うにいたった、その端緒となった。そういう意味で、満州事変のより突っ込んだ勉強が必要である。次のページは、私が私なりに満州事変のより突っ込んだ勉強したものである。参考にされたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/manjihen2.pdf

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