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2013年10月 8日 (火)

南京攻略の背景(その2日本人居留民の危機)

南京攻略の背景(その2日本人居留民の危機)

先に述べたような華北の戦火の広がりを見て、1937(昭和12)年8月初め、 漢口、 長沙、重慶など長江沿岸の日本人居留民に上海への引き揚げが命じられた。この早い対応は日本人居留民240名が中国保安隊に虐殺された通州事件 (1937年7月)の二の舞を避けるためだったといわれている。
 上海はアヘン戦争後に生まれた租界があり、フランス租界、共同租界にわかれ、両租界とも90%が中国人、残る10%が英、米、仏人などであった。日本人は約2万人だったという。

長江の流域には、下流から上海、南京、武漢、重慶、 成都という大都市がある。
漢口は、現在の武漢市の一部に当たる。漢口は1858年に結ばれた天津条約により開港し、イギリス・ドイツ・フランス・ロシア・日本の5カ国の租界が置かれた。これ以後、経済が高度に発展した漢口は「東方のシカゴ」とも呼ばれた。長江は古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。
長沙は、早くも『逸周書』にその名が見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、5代46年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展し、中華民国が成立すると1933年に長沙市と改称、湖南省の省都とされ現在に至っている。1938年の長沙大火では多くの文化財を失うと同時に1939年から1944年にかけては日中戦争の戦場ともなっている。
長沙の位置は、次のグーグルマップによって確認できる。https://maps.google.co.jp/maps?oe=utf-8&hl=ja&client=firefox-a&q=%E9%95%B7%E6%B2%99&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x342735f39e1c64c5:0xb1e5bb9ca1f1a680,%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD+%E6%B9%96%E5%8D%97%E7%9C%81+%E9%95%B7%E6%B2%99%E5%B8%82&gl=jp&ei=lXQpUrydA4n2kQWS44GIAQ&ved=0CL4BELYD
武漢の上流400kmぐらいのところにあるのを確認してほしい。
重慶は、古代の巴国の地である。巴国は紀元前316年に秦国に滅ぼされた。南北朝時代に宋が渝州と命名した。これを略した「渝」は現在も重慶の略称として自動車のナンバープレート等に使われている。1189年(淳熙16年)南宋の光宗により重慶と命名された。1891年長江沿岸の港湾として対外開放され、1929年重慶市政府が成立した。日中戦争で首都であった南京が陥落すると、1938年に蒋介石の中国国民党は首都機能を重慶に移転させるというほどに、重慶は北京や南京などに次ぐ大都市である。当時、その重慶に日本人の居留民が結構いたのである。

上海にはアヘン戦争後に生まれた租界があり、フランス租界、共同租界にわかれ、両租界とも90%が中国人、残る10%が英、米、仏人などであった。日本人は約2万人だったという。そこへ、漢口、 長沙、重慶など長江沿岸の日本人居留民が、多数、日本国の命令によって、避難してきたのである。日本国としては、上海における新旧慰留民の生命と財産は絶対に守らなければならない。当然のことであろう。ところが、 1937年8月13日、日本人保護と上海市街警備のために駐留していた海軍陸戦隊 (約4000人)の本部付近に、蒋介石直系の中央軍が山砲、迫撃砲による集中砲火を浴びせてきたのである。第2次上海事変の始まりである。第2次上海事変の詳細を述べる前に、上海の租界地のことを説明しておきたい。

英国租界に隣接して共同租界、米国租界に隣接して共同租界があり、その北側に虹口超界築区域というのがあるが、ここが日本人街になっていた。




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