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2013年9月30日 (月)

満州事変(その4水豊ダム)

満州事変(その4水豊ダム)

満州と言えば、知る人ぞ知る「水豊ダム」がある。 水豊ダムは1937年から44年(41年に一部発電開始)にかけて、朝鮮総督府(以下、総督府と略す)と満州国政府が共同で、当時の「国際河川」である鴨緑江に築いた大ダムである。 日本政府の国策によって建設されたものである水豊ダムは重力式コンクリートダムで、高さ166・4m、長さ899・5m、堤体積311万㎡という当時世界最大級であった。水豊ダムによって堰き止められた河水を朝鮮側に設置した水豊発電所に導き、最大出力70万kW(実際には60万kwに留まる)を得ようとした。
時が経ち、朝鮮戦争。1952年6月23日、この水豊ダムは攻撃目標にされた。米軍機が次々に空爆をおこなったが、決壊させることはできなかったという。

明治維新は、アヘン戦争以降、中国が列強の植民地として侵略される状況を見て、その二の舞にならぬよう富国強兵を行うところに、その目的があった。そのことを明確に認識していた人は、勝海舟を初めとして何人もいたように思う。明治維新の精神はその後も引き継がれ、日露戦争に世界が驚くあのような輝かしい勝利を収めるのである。孫文が明治維新の精神を理想としたのは当然である。しかし、日本は日露戦争の輝かしい勝利に酔いしれたのか、列強の仲間入りをして、中国の植民地化に向かうのである。否、列強が長年かけて世界の植民地化を進めてきたのに比べて、日本の場合は、日露戦争の後取得した権益を守ることとはいえ、満州において傀儡政権の樹立という、いわゆる植民地化よりももっとひどい支配を行うのである。
しかし、そのような政治とは別に、企業家や技術者の活躍が満州にあったことを忘れてはならないだろう。明治維新の精神、つまり富国強兵というのは、軍事力だけでなく、富国のための企業家や技術者の近代化があった。軍部が満州においてその支配権を確立していくとともに、その間、新天地満州において企業家や技術者の目覚ましい活躍があった。その象徴的な開発プロジェクトが「水豊ダム」の建設である。
私は、土木技術者である。「水豊ダム」その他満州のダム建設に携わったダム技術者に敬意を払いながら、満州におけるダム建設を皆さんに知ってもらいたい。「水豊ダム」の建設の歩みを少しまとめてみたので、是非、次のページをご覧戴きたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/manpro.pdf




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