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2013年9月26日 (木)

満州事変(その1概要)

満州事変(その1概要)

満州事変とは、1931年(昭和6年)、満州の奉天(現在の瀋陽市)の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。
北大営は、事件現場の柳条湖近くにある国民革命軍(中国軍)の兵営のことであるが、鉄道爆破が18日の22時30分に勃発するや、翌日の朝6時30分には、関東軍の独立守備第2大隊がこれを占領している。と同時に、関東軍第2師団の主力部隊が奉天城を占領している。まさに関東軍の計画的軍事行動である。
奉天総領事館の林久治郎総領事は板垣高級参謀に対して電話をかけ、中国側は無抵抗主義の姿勢を明らかにしているのであり、日中両国は交戦状態にあるとはいえないとして外交的解決の採用を勧告したが、板垣は、中国側が攻撃を仕掛けてきたものであり、そうである以上、徹底的に叩くべきだというのが軍の方針であると答えている。林総領事は幣原喜重郎外務大臣に至急の極秘電を送り、関東軍は「満鉄沿線にわたり一斉に積極的行動を開始せんとする方針」と推察される旨を伝えている。これは、さまざまな情報を総合すると、関東軍の行動は単に中国軍に対する自衛的な反撃にとどまらないという見方によるものであった。林は、政府が大至急関東軍の行動を制止する必要がある旨を幣原に進言しており、さらに別電では、この事件が関東軍の謀略である可能性も示唆している。

満鉄は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで満州国に存在した日本の特殊会社である。鉄道事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満洲経営の中核となった。本社は関東州大連市であるが、のちに満州国が成立すると満州国首都の新京特別市に本部が置かれ、そちらが事実上の本社となった。また東京市麻布区麻布狸穴町に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。

関東軍は、大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、
および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順
に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京(現・吉林省長春)に移転した。
「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海
関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。

張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略
を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争
(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく左右する契
機となった。なお、これら一連の行動は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国
防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに
越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるど
ころかみな出世した。

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