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2013年8月26日 (月)

帮を知らずして中国を語る事なかれ!

帮(ほう)を知らずして中国を語る事なかれ!

中国という国には、儒教の教える倫理、道徳によって、利害を超えて、義や信を重んじる仲間の輪というものが数多く見られる、世界でも稀有な素晴らしい国である。もちろん、義や信を重んじると言っても、その程度は様々であるし、利によって繋がっている輪も少なくはない。
小室直樹は、利を求めず、相手のためには死をも厭わない、というような仲間の輪を究極の幇と言っているが、実際の中国社会では、そこまでいかない幇が一般的ということであろう。
橋爪大三郎は、帮は任意に作ることができる契約の一種であり、血縁集団と官僚組織とは区別される第三の自発的組織である、と言っている。その典型は組織暴力団であり、学校も幇だし、職業集団、同業組合、宗教団体も幇だと言っている。要するに宗族(父系の血縁集団)と国(国家元首と政府すなわち官僚組織)との間の中間組織であると言っているのである。

このように小室と橋爪の認識が違うが、これは、小室が歴史的な認識をしているのに対し、橋爪は現実の中国社会を見つめて認識しているからである。私は、先に幇の持つ本質的というか致命的な欠点があるということを指摘しておいたが、歴史認識にもとづいて中国的精神の可能性を考えている立場から、小室の認識に関連して、この際、その根拠を明らかにしておきたい。

小室の認識では、幇はコミュニティと言い換えて良い。コミュニティの致命的な欠点は、マイノリティが出てくるということであり、どうしても神の助けが必要なのである。ここに、道教の絶大な存在価値がある。道教によって、マイノリティが救われるのである。
コミュニティにおけるマイノリティの問題、すなわち、神への祈りの問題については、次をページの冒頭の部分と第3節を是非ご覧いただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/eros15.pdf

これは、私が電子書籍、祈りの科学シリーズを書いた所以でもある。
http://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-27435-9-124989X.html

幇(ほう)に見られる儒教の精神と道教の精神とが車の両輪の如く動いているからこそ、中国は世界でも稀有な素晴らしい国なのである。今後さらに、究極の幇ならずとも、それに近い幇が数多くできて欲しい。私は、中国人が三国志など歴史的な書物を大いに読むことを願っている。大いに歴史を紐解くことだ。

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