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2013年8月14日 (水)

天の道

天の道

老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳ではあるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っても良いのである。
私が少し前に書いた「さまよえるニーチェの亡霊」という電子書籍がある。
http://honto.jp/ebook/pd_25249963.html

その中の第8章「ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方向性」で、私は、次のように述べた。すなわち、
『 今、日本もそうだが、世界は「人間が生きる最高の価値観」を失ってニヒリズムに陥っている。そのニヒリズムから脱却して私たち人間が生き生きと生きていくためには、何をなすべきか? それを一言で言えば、ニーチェの考えを中心として、ハイデガーやホワイトヘッドらの哲学のいいところ取りをして、ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方向を見定めて、具体的な運動を展開することだ。そういった新しい哲学、すなわちニーチェとハイデガーとホワイトヘッドの統一哲学が形而上学的に誕生するにはかなりの年月がかかるかと思われる。現在の状況からして、それを待っているわけにはいかないというのが私の認識であり、したがって、私は、せめてその方向性を見定めて、具体的な運度を展開すべきだと申し上げている。』・・・と。

しかし、 老子を多少勉強して、今思うことは、西洋哲学だけでなく、東洋哲学やインディアンの哲学的思考(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/intetuga.html)などすべてのものも視野に入れるべきだということで、その際、老子の哲学は特に注目されるべきではないかと思う次第である。まだまだ勉強が足りないが、現在の知見によって、多少、老子の哲学について説明をしておきたい。

私は先に、「玄牝の門」という題のブログで、『 そういう風に万物が発生していくけれど、実在そのものは静かにじっとしている。万物はみな自然にそれから産まれるけれども、産みっ放しで一切干渉しない。』・・・と申し上げたが、実在が静かであるというのが老子の根本の思想になっている。活動を好まず、静止を喜ぶというところが「易」と違っている。「易」は、何か行動を起こすための技術であって、活動的である。それに対し、老子は、「静」ということが道として大事であると言う。清静ということが老子の根本の思想なのである。
王たるもの、神のような生き方をしなければならない。これを「玄徳」というのだと老子は言っている。老子は、政治についても、彼の哲学思想にもとづき、当然、無為自然でなければならないという。そして、老子は、『 大道廃れて仁義あり、智慧出でて大偽(たいぎ)あり。国家昏乱(こんらん)して忠臣あり。』・・・と言っている。孔子は「仁」を説いたし、孟子は「仁義」を説いた。大道、すなわち「天の道」に従っていれば、「仁」とか「仁義」などという必要はない。もっぱら「天の道」に従うことを考えれば良いのである。老子は哲学的にそう言っているのである。これは実に一面の真理であると思われる。一つの理想であろう。現実には、孔子や孟子が説くように、「仁義礼智(じんぎれいち)」がないと人間社会はうまくいかないが、私は、老子の哲学思想のように、「天の道」に従うことを常に心がけなければならない思う。

「エイトス アンドロポイ ダイモーン」。私達は、「自然を生きなければならない」のである。

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