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2013年7月 4日 (木)

邪馬台国と古代史の最新 第2章第4節

邪馬台国と古代史の最新
第2章 古代の歴史を概観する

第4節 渡来人の技術移転

古来より技術は人類の生活をよりよくするために向上が続けられ、そしてその一部の技術は軍事的にも利用され、また軍事目的に特化して開発された技術もある。技術と軍事は歴史においてもその関係性が重要であることが指摘されている。軍事技術というものは国家の意思によって左右される。その際大事なことは、軍事技術といってもさまざまな要素技術から成り立っているので、飛躍的に軍事技術が発達すれば、民需の技術も飛躍的な発展を遂げるということである。しかし、国の意思というものは、軍事技術にだけ働くものではなく、民需に向けられる場合も少なくない。イギリスで産業革命が始まった要因として、原料供給地および市場としての植民地の存在が大きく関係しているといわれているが、これは国家というものが技術の飛躍的発展に大きく関係したことの歴史的事実である。
古来、中国は、国家の意思に支えられて、いろんな技術が発達した。その技術が日本に伝わってきた。中国からの外来技術によって、日本の技術開発が触発されたことは疑う余地がないが、ここで留意すべきは、日本の受け入れ態勢である。受け入れ態勢というものを考える場合に、大事な点が二つある。一つは、古代でいえばクニグニということになるが、各豪族の力である。もう一つは、その地域の技術者集団の能力である。私は、その後者の問題について、極めて大事なことを申し上げておきたい。外来技術を受け入れるにしても、またそれに触発されて新たな技術開発をするにしても、その地域の技術者集団の技術能力が関係するのはいうまでもないが、日本の場合、その能力が世界に冠たるものがあった。それは、伝統技術というか、潜在的な技術力のことである。

伝統技術というものは伝承されるから伝統技術という。現在の技術は、昭和の技術を継承し発展させたものであるし、昭和の技術は大正の技術を継承し発展させたものであるし、大正の技術は明治の技術を継承し発展させたものである。また、明治の技術は江戸時代の技術を継承し発展させたものである。明治時代に、西洋から外来技術が入ってきたが、日本はこれを瞬く間に吸収し、さらに新たに発展させた。これは世界の奇蹟だという向きもあるが、奇蹟でもなんでもなく、日本は江戸時代の素晴らしい技術をベースとして、外来技術を日本化したに過ぎない。江戸時代の技術は、戦国時代の技術を継承し発展させたものである。このように、技術というものは、次々と伝承されていくものである。では、日本の伝統技術はどこまで遡るのか? 実は、旧石器時代まで遡るのである。黒曜石の細石刃技術という世界でも冠たる技術があって、土器というものが発明された。このことをいまここで、私は特に言いたいのである。

渡来人の技術移転という点でもっとも強い影響を受けたのは、いうまでもなく中国文明である。以下においては、技術に限らず文化ということで、中国文明の波及という観点で、古代の歴史を概観しておきたい。世界の「四大文明」の中で、エジプト、メソポタミア、インダスの文明は滅亡・断絶したが、唯一中国文明だけは、数千年にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を維持してきて、朝鮮半島を通じて間接的に或いは朝鮮半島を介さないで直接的に、文化全般においてわが国に強い影響を与え続けてきた。中国文明なければ今の日本文化はないと言ってもけっして過言ではない。

中国文明の伝来ということでまず思い出すのは、記紀における天孫降臨の話である。 記紀の神話に語られる「天孫降臨」は、四つの伝承がある。一般的に言われているのは、天孫降臨高千穂説である。この説の場合、天孫降臨の地としては、九州南部の霧島連峰の一山である「高千穂峰」と、宮崎県高千穂町の双方に降臨の伝承があるが、どちらの場所が比定されるかは定説がない。また、また、天孫降臨北部九州説もなかなか有力な説である。この場合、天孫降臨の地は韓国すなわち朝鮮半島に向かい,対面した地だというのある。糸島半島説などの北九州説がこれだ。その背景には,朝鮮半島の住民が九州を経て日本列島に広まった古き記憶こそが天孫降臨神話なのだという思い入れがある。さらに、天孫降臨丹後半島説と 天孫降臨薩摩半島説というのがある。前者については第3章「丹波王国」で、また後者については 第7章の 第1節「阿多隼人について」で詳しく書いたのでそれを読んでいただきたい。
さらに、除福伝説やアメノヒボコ伝説やツヌガアラシト伝説があるし、スサノオが朝鮮半島の神であったという伝説もある。これらの伝説は、すべて中国文明の伝来を意味している。

なお、 第8章第2節の6の(2)「翡翠の道」で述べたように、倭国の大商人のネットワーク組織がいくつかあった。そういう大商人は、人口密度のか高いところ、つまり政治の中心に引き寄せられてくる。河内王朝の時代、そういった大商人のネットワークを通じて多くの渡来人が大阪にやってきたようだ。そのことについて、中沢新一は「大阪アースダイバー」(2012年10月、講談社)の中で次のように述べている。すなわち、
『 南朝鮮から北陸、北部九州、瀬戸内海沿岸部は、6世紀くらいまではひとつの共通世界を形づくっていました。「カヤ(伽耶)」である。その世界を、舟を使って自在に行き来していたのが、海民と呼ばれる人びとです。海民は玄界灘を渡り、能登半島の方にまで行き来していました。その共通世界における東の突端が大阪でした。彼らの言葉は共通言語で、方言ほどの違いしかなかったのではないかと言われています。』・・・と。

以上は第4節「渡来人の技術移転」の全文である。先のブログでは、第1節の要点と第2章の全文と第3節の要点を紹介したが、第1章の原文そのものについては、次をご覧戴きたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai02.pdf











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