« 最終章第2節(1) | トップページ | 最終章第2節(3) »

2013年7月30日 (火)

最終章第2節(2)

邪馬台国と古代史の最新

第10章 邪馬台国は近江だ!

第2節 魏志倭人伝の比定地

2、黒歯国

三国志は三世紀に成立した歴史書であるが、西晋(せいしん)の歴史家・陳寿(ちんじゅ。233~297)の代表作である。彼の没後、西晋朝の「正史」とされた。それは魏志・呉志・蜀志の三編からなるが、その中心は魏志である。西晋朝は、魏朝を受け継いだ王朝だからである。その魏志の最後を締めくくるのが倭人伝だ。つまり魏志倭人伝は、三国志の中でもっとも中心的なものである。 天子は謁見するだけの仕事だけれど、歴史家としての陳寿はちがう。聞き得るだけ全ての情報を聞く。直接、使節団と対面して根掘り葉掘り問い正したに違いない。 それが任務だ。 倭国の実情だけでなく、その向こうのクニグニはどうなっているか、そういうことも質問したに違いない。私ならそうする。きっと陳寿もそうしたに違いない。
そのとき、使節団は『 倭国の首都邪馬台国の東(実際は北)の方向、海を渡ること千里(約90㎞)余りにはまた国があって、全て倭人が住んでいます。また、倭国の首都邪馬台国の南方(日本列島から外れてしまうので、実際も南方)四千里(約360㎞)余 りには、朱儒国という背丈三、四尺の人々が住む国があります。さらにその東南((日本列島から外れてしまうので、実際も東南)には裸国や黒歯国という国もあるようですが、これらの国々へは一年もの船旅が 必要です。倭の地と比較して聞いてみると、この裸国や黒歯国の所在するところは、海に囲まれた多数の島々からなる国で、島づたいに周廻すると、全周は五千 里(約450㎞)余りのようです。』・・・という話をした。陳寿はびっくりしたと思う。

琉球列島を含む南洋諸島は琉球孤と呼ばれ、それらの島々は旧石器時代から独自の文化を育んできた。それらの島の存在が日本や中国の資料に現れるのは、日本の場合、推古天皇の時代であり、中国の場合、随の時代である。正史である隋書にそれらの島々の事が記録されていて、琉求国として認知されていた。しかし、それは正史などの役所関係の資料の話であって、伝聞としてはどうであったのであろうか? 魏の時代に琉球諸島のことを倭人が知っていたのかどうか? そこが問題だ。
まず、わが国では、琉球諸島との交流はあったのか? それから話をしたい。交流はあったのである。柳田国男の「海の道」はあまりにも有名であるが、弥生時代から南洋諸島とわが国の往来はあった。中でも有名なのは、「貝の道」である。
陳寿は、琉球の島々のことは多分知っていたと思う。魏志倭人伝に琉球に関する記述がないのは、多分、陳寿がそういう南洋諸島のことを百も承知であったからだと思う。しかしながら、もっと南の方はどうか? 私は、魏志倭人伝の著者・陳寿は、そういう太平洋の情報に重大な関心を持っていたと思う。そのようなときに、上記のような答えが返ってきた。それは中国では今まで聞いたことのない、まことに貴重な情報であった。それが朱儒国、裸国や黒歯国の情報であったのである。それらの島々が、琉球の他に別の島々がある。

では、これからそれらの国の比定地を考えてみたい。
まず、第一フレーズであるが、「倭国の首都邪馬台国の東(実際は北)の方向、海を渡ること千里(約90㎞)余りにはまた国があって、全て倭人が住んでいる」・・・そういう島は明らかに壱岐である。壱岐の黒曜石は、弥生時代はおろか旧石器時代から朝鮮半島にも運ばれていて、そこが倭人の国であることは広く知られていたと思う。
次に、これが大問題なのだが、朱儒国と裸国や黒歯国をどこに比定するか? 日本の南にある朱儒国があって、その南東方面に裸国や黒歯国がある。その裸国や黒歯国に行くには、一年ぐらいの船旅が必要で、それらの島々をぐるっと廻ると約450km。日本列島の南にあるそういう島々は、小笠原諸島しかない。したがって、私は、朱儒国を伊豆七島、裸国や黒歯国を小笠原諸島に比定している。こういう判断をするには、冒頭に申し上げた正しい歴史認識が必要である。是非、皆さんにも知ってもらいたいのでが、旧石器時代から、日本の造船技術と航海技術は凄いものがあり、そのような海の民の本拠地は熱海であった。
熱海が旧石器時代から鎌倉時代までずっと日本の海上輸送の大拠点であったことについては、私の論考があるのでまずそれを紹介しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/atamiaas.pdf
また、「円筒石斧がボニン(小笠原諸島)から、マリアナ、カロリン諸島を経てメラネシア、ポリネシア方面に広がった」・・・そのことについても、私の論考があるのでそれも紹介しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sekihiro.html

以上の通り、朱儒国が伊豆七島、裸国や黒歯国が小笠原諸島であることは間違いないと思う。

なお、魏志倭人伝には、「朱儒国という背丈三、四尺の人々が住む国」と書いてあるので、 この点に触れておきたい。朱儒という言葉は、身体が小さいという意味もあるが、ここでは人びとを蔑んだ言葉であると思う。陳寿は、使節団が彼らのことを蔑んだ言い方で説明したので、彼らを三四尺の「チビ」だと書いたのであろう。
また次に、マリアナ諸島のサイパンなどの島々は裸の人が多いのはまったくうなづける話であるが、問題として考えねばならないのは、これらの島を黒歯国と名付けたことである。最近、最近と言っても、数百年前のことだが、サイパンでお歯黒の歯が出土したらしい(「データで考える日本の源流」中尾靖之、2005年12月、郁朋社)。このことは、卑弥呼の時代においても、サイパンでお歯黒の習慣があったということにはならない。しかし、習俗の連続性というものを考えると、古代からサイパンではお歯黒の風習があった可能性がある。だから、私は、きっと使節団がお歯黒の話をしたのだろうと考えている。

この最終章は、私が「邪馬台国は近江だ!」と考える根拠を書いたものです。もちろん、今ままで縷々述べてきた第1章から第9章までの内容が最終章の背景としてある訳ですが、この本の最終結論はこの最終章です。もっとも大事な章ですので、第1節から第3節までその内容ごとに分類しながら、紹介していきたいと思います。しかし、一気に最終章全体を読みたい方のために、章全体をアップしておきます。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai10.pdf

« 最終章第2節(1) | トップページ | 最終章第2節(3) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/52665348

この記事へのトラックバック一覧です: 最終章第2節(2):

« 最終章第2節(1) | トップページ | 最終章第2節(3) »