« 邪馬台国と古代史の最新 第7章第3節 | トップページ | 邪馬台国と古代史の最新 第8章 »

2013年7月23日 (火)

邪馬台国と古代史の最新 第7章第4節

邪馬台国と古代史の最新

第7章  藤原不比等の深慮遠謀

第4節 神武東征神話における不比等の真意

神武東征とは、一口で言えば、初代天皇のカムヤマトイワレ ビコ(神日本磐余彦、後の神武天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話である。
イワレビコが45歳のとき、「海の道」に詳しい塩土老翁(シオツチノオジ)から次のような話を聞かされた。 
「四方を青垣の山々に囲まれた良い土地が、東にある。その土地は広く、統治しやすく、天下を臨むにふさわしい」 
そこで、イワレビコは兄弟たちと図り、そこに東遷して都にする決心をした。そして、イワレビコみずから、皇子たちと水軍を率いて日向の国を出発し東征の途についた。
しかし、すでにヤマトにはナガスネヒコが君臨していた。イワレビコはニギハ ヤヒ(饒速日)に対し和平交渉をする。ニギハ ヤヒは、永年君主として仕えてきたナガスネヒコを斬って、自分と同じ天孫族のイワレビコに恭順した。

この神武東征伝承には、大きな矛盾が二つある。一つは、東征の出発地点が美々津港になっている点だ。
塩土老翁(シオツチノオジ) から東に広くて統治に適した土地があると聞いて、イワレビコは東征を決意したことになっている。記紀の神武東征でいう 塩土老翁(シオツチノオジ) は、古事記の海彦山彦説話においては「シホッチの神」となって現れている。また、 記紀における「笠沙の浜における神武天皇とコノハナサクヤヒメのラブロマン」が語れている。コノハナサクヤヒメは海彦山彦説話におけるトヨタマ姫(乙姫さま)のことである。これらの出来事は笠沙での出来事である。笠沙とは、阿多隼人の本拠地、今の南さつま市であるが、神武東征神話の原点は阿多水軍の拠点笠沙である。
神武東征神話は、九州にあった勢力が長年をかけて大和地方に侵略した歴史を一人の人間に仮託して聖戦としてまとめ上げたにすぎないが、過去の事実はどうであったのであろうか? 
私は、邪馬台国畿内説であるが、九州説にもそれなりの事実を含んでいることは確かである。弥生時代後期に北九州にあった勢力が畿内に向かったというのは事実であろう。もちろんその移動は、一回だけのものではなく、幾重にも亘って行われた。北部九州ななんと言って大陸や朝鮮半島に近く、その文化的影 響を受けやすいことは誰の目にも明らかである。建武中元2年(57年)に後漢の光武帝に遣使して金印を授与された奴国は北部九州に実在した国である。永初 元年(107年)、後漢の安帝に生口160人を献じて謁見を請うた倭国王帥升もおそらく北九州の国王だったであろう。こうした弥生時代の大陸との通交の歴 史の延長上に北九州の豪族の、幾重にも亘る畿内への移動があったのである。それが神武東征神話の真相である。

さあ、そこで神武天皇神話における不比等の真意を推察してみよう。
神武東征神話には、場所に関する二つの疑問がある。美々津の問題ならびに岡田宮と熊野の問題である。まず、美々津を出発地とした問題から述べる。神武東征神話の原点は笠沙である。なのに、神武東征の出発地を笠沙としないで、何故美々津としたのか?これには二つのの理由がある。不比等は、笠沙について真実をひた隠しに隠して、海彦山彦の物語だけを語りたかったのである。美々津は、太平洋と瀬戸内海並びに東南アジアを結ぶ海上の道の結節点である。そこを出発地とすることによって、これら海上の道は、既に大和朝廷の支配下にあることを天下に示したかったのである。海人族ネットワークの分断作戦である。

次に、何故、遠賀川の河口付近の岡田宮と熊野が神武東征神話に出てくるのか? 瀬戸内海の主要な国が出てくるのはわかる。かって、北九州の豪族が畿内に向かった時、瀬戸内海のクニグニとそれなりの緊張関係があったことは事実であろう。この緊張関係は、結構長く続いたものと見え、高地性集落が瀬戸内海地域に作られる。高地性集落は、その他の地域にも作られてはいるが、瀬戸内海地域に多いのは、北九州の豪族がおおむね瀬戸内海を通って畿内に向かったからだと思われ、神武東征神話は、それを意識して作られている。したがって、神武東征神話の中に安芸や吉備が出てくるのは当然としても、岡田宮や熊野が出てくるのは不思議だ。古事記では、神武東征の途中、岡田宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、この地に留まったとされている。 岡田宮の地は、天然の良港である洞海湾に面し、当時は、遠賀川ともほぼ小河川や遊水池で繋がっていたと思われる。
岡田宮のある洞海湾を含む遠賀川の河口付近は、北九州から瀬戸内海に向かう海上の道と遠賀川の結節点である。遠賀川は、香春という秦一族の本拠地であり、不比等の頭の中には、香春は大和朝廷の極めて重みのあるか地域として意識されていたのであろう。その重要な地域が、もともと大和朝廷の支配下にあったのだと、神武東征神話の中で、言いたかったのであろう。

熊野は、太平洋側におけ海上交通の要かなめの地である。太平洋側の海人族のネットワークにとって、もっとも大事なところである。そこは古くから大和朝廷の支配下にある。そのことを不比等は言いたかったのであろう。熊野が古くから大和朝廷の支配下にあるのなら、太平洋側の海人族は、大和朝廷に反旗をひるがえすなどはもってのほか、と思うにちがいない。不比等はそう考えたに違いない。

このようにして、日本列島の水軍はすべて大和朝廷、実質的には藤原氏ということだが、中央権力の集中管理することとなった。藤原氏万全の体制が出来上がったのである。不比等ほど深慮遠望に長けた人は歴史上そうはいない。彼によって日本国の骨格ができたと言ってもけっして言いすぎではない。

以上第4節の要点を述べたが、第7章の全体は次の通りである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf

« 邪馬台国と古代史の最新 第7章第3節 | トップページ | 邪馬台国と古代史の最新 第8章 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/52568316

この記事へのトラックバック一覧です: 邪馬台国と古代史の最新 第7章第4節:

« 邪馬台国と古代史の最新 第7章第3節 | トップページ | 邪馬台国と古代史の最新 第8章 »