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2013年7月20日 (土)

邪馬台国と古代史の最新 第7章第1節

邪馬台国と古代史の最新

第7章  藤原不比等の深慮遠謀

第1節 阿多隼人について

阿多隼人は、もともと海の民であり、海上の道を通じて交易にもたずさわっていたので、海人族のネットワークを持っていた。日本列島における海上の道は、隼人の国、おおむね今の鹿児島県であるが、私の考えでは、阿多隼人が歴史的にも古く、いちばん力を持っていたと思う。不比等としては、磐井の反乱や白村江の戦いを思うと、阿多隼人の反乱を心配し、恐れを抱かざるを得なかった。そこで、不比等は、阿多隼人を徹底的に抑え込む戦略を持った。

宮本常一は、南方から「アタ族」という海洋民族が渡来したとして、この「アタ族」の船は集団移住のための外洋航海船だから当然構造船のはずで、したがって当然、鉄釘を使用していたとして、アタ族の技術能力を評価し、その技術の中に製鉄技術を推定された。その後、広州で、秦漢時代(紀元前221〜西暦220)の大規模な造船工場の遺跡が発見され、その船台から幅6〜8m、長さ20mの木造船が建造されたようで、多くの鉄鋳物、鉄釘、鉄棒や砥石などが発見された。
それらの技術は、広州からの渡来民・アタ族によって日本にもたらされたと見なされているが、私は、その地点は野間岬、今のみなみ薩摩市、旧加世田市であり、アタ族の後裔がが「阿多隼人」であると考えている。

かの有名な「栫ノ原型石斧」というのがある。みなみ薩摩市から出土した縄文草創期の磨製石斧である。丸木舟の製造に使われたとされており、黒潮文化圏では珍しくないが、みなみ薩摩市のものは、高度な技術により作られておりすばらしいので、特に、「 栫ノ原型石斧」と命名されている。この「阿多隼人」の地は、縄文時代から技術水準の高い航海民族の拠点であったようである。「石斧の広がり・・・黒潮文化圏」については、かって私の書いたホームページがあるので、ここに紹介しておきたい。みなみ薩摩市というところ、すなわち「阿多隼人」の地がそもそもどういう所かを認識する一助にして欲しい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sekihiro.html

さて
、次に海彦山彦の物語だが、これは政治的な意図を持って隼人の服從が語られている物語である。では、その要点を見てみよう。
海彦と山彦は、たまには違う獲物を捕りたいと思い、魚の釣り道具と鳥獣の狩猟道具を取り替えっこをする。しかし、山彦は海彦の大事な釣り針を海に落としてしまう。山彦は海彦にさんざん責められて、途方に暮れて泣いていると、「シホッチの神」が現れて、山彦に海神の宮、今私たちの知っている言葉で言えば、多分竜宮のことだろうが、ともかく書く海の神の所に行く行き方を教えながら、海神の女(トヨタマ姫)、これも多分乙姫のことだろうが、そういう尊い神の娘が何とかしてくれることを伝える。山彦は、「シホッチの神」に教えられた通りに神の国に行き、トヨタマ姫と出会い、彼女のお陰で海の神とも出会うことができるのである。そして、山彦、実はホヲリの命のことだが、彼は海の神の計らいでトヨタマ姫と結婚をし、竜宮で三年間を過ごす。
ホヲリの命の正妻はタマヨリ姫だが、側室がいたようで、ホヲリの命と側室の間にできた子供を「アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命」という。「アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命」は、ホヲリの命が亡くなってから、叔母のタマヨリ姫と結婚して産んだ子が、カムヤマトイハレ彦(神武天皇)である。

阿多隼人は本来天皇に隷属すべき存在である。この意識を定着させようとしたのが海彦山彦の物語だが、海人族に対する意図的な作り替えは他にもある。葛城氏は海部氏である。熊野の王も丹後の王も海人族であり、藤原氏としては相当に海人族というものを警戒していたようだ。特に、丹後王朝の史実については、記紀において意図的に抹殺してしまった。事実にもとづいて記紀を書けば、天皇も藤原氏もその権威を無くしてしまう。記紀は、そういう背景から書かれたのである。

しかし、不比等は、豪族に対する警戒はあったけれど、文化面では、重要な面で南方系文化を重視した。すべての面で北方系の潜在的優位性を主張しているのではない。その点に少し触れておきたい。シャーマニズムは、古モンゴリアンの文化である。日本はその文化の中にある。卑弥呼も台与もシャーマンである。その伝統を復活させたのは,不比等である。不比等は、伊勢神宮をして,天皇の祖神として天照大神を祀ると同時に,天皇をシャーマンにしつらえたのである。これは、卑弥呼や台与の祭祀の復活であって、政治的権力は藤原氏にある。不比等はそれを主張したかったのである。それが、記紀の基本的な姿勢である。不比等は、天皇を前面に押し立てながら、己の権威を保持しようとしたのである。これは、素晴らしい考えであると思う。天皇を支える腹心が権力闘争に明け暮れてはいけない。それは、今も変わりはない。わが国の国是は、あくまでも天皇を中心として、まとまっていく国なのである。そのような国是を作ったのは不比等である。そう意味から、私は,記紀の素晴らしさを高く評価したい。そのような評価をした上で、記紀を分析検討しなければならない。記紀における神話や物語は、大きな歴史的価値を有している。

なお、不比等は阿多隼人並びに海人族のネットワークを恐れると同時に、阿多隼人を直轄の臣下にすることによって、全國の「アタ族」を統括したのだと思う。その主なものは熊野水軍と伊豆水軍である。白村江の戦いで、我が水軍の総司令官を勤めたのが伊豆水軍の流れを汲む庵原氏である。そういうことを不比等は十分知っていて、熊野水軍や伊豆水軍を大事にしたのである。それは、熊野神社や伊豆山神社を朝廷が大切にあつかってきたのを見ても解る。伊豆山神社のその伝統は、鎌倉幕府まで続く。
そういうことを考えていると、私は、やはり日本は、海洋国家だなあと思う。阿多隼人の国、薩摩から、かの世界の名将東郷元帥が出たのも、当然のことだと思ったりする。

以上第1節の要点を述べたが、第7章の全体は次の通りである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf

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コメント

こんにちは、またブログ覗かせていただきました。また、遊びに来ま~す。よろしくお願いします

「邪馬台国と古代史の最新」は、興味のある書名である。何が最新であるか、に興味を持つ。しかし出版社が分からない。出版社と本の価格を教えてほしい。

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