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2013年7月21日 (日)

邪馬台国と古代史の最新 第7章第2節

邪馬台国と古代史の最新

第7章  藤原不比等の深慮遠謀

第2節 天照大神について

私は先に、「台与の祭祀こそ、わが国が世界に誇る「神道」の源流は台与の祭祀である。」と述べた。わが国の「神道」は、台与の祭祀から始まって、物部神道、そして中臣神道を経て、現在に至っている。台与の祭祀について考える前に、まず、神道についての大筋的な流れを見ておこう。

台与の祭祀と伊勢神宮を中心とする現在の神道とは、基本的な断絶はないのだが、藤原不比等によって、伊勢神宮が建立され、天照大神が誕生した。これは大改革と言って良いほどの素晴らしい変革であり、日本の国是がここに定まった。では、不比等によって誕生した天照大神について、その神格を説明したい。

天照大神とは、そもそもどのような神か? その神格を明らかにしなければならない。これはもう哲学の問題だ。記紀における神話をもとに、哲学的思考を重ねなければならない。それは、どうもヒルコとの対比の中で、考えねばならないようだ。その点については、河合隼雄がいちばん核心部分に迫っているようだ。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-f2d4.html


それにしても、藤原不比等は、何と奥深い戦略を考えたものだと思う。彼は、自分の氏神としての鹿島神宮を物部氏から奪い取ると同時に、天照大神を祀る伊勢神宮を作った。そして、それと同時に、記紀において天照大神を中心に神々の物語を作った。いわゆる日本神話の誕生である。ということで、私は,河合隼雄のヒルコ論を念頭において、天照大神の神格について、重要な点を語らねばならない。神の存在について語ること、神というものはどこにいるのか、また神は、人間に対してどういう働きをするのか、それはもう哲学の問題である。天照大神は伊勢神宮にいる。何故伊勢にいるのか、そして、その天照大神は、私達日本人に対して、どういう働きをするのか、それを考えねばならない。

日本にはさまざまな神がいる。不比等の頃の豪族は、それぞれにおのれの祖神を祀っていた。それらの神々を大事にしながら、かつ、天皇を中心に全体の秩序立てを図る神、それが天照大神である。女性の太陽神、天照大神でなければならないのである。河合隼雄が言うように、男性の太陽神ではダメなのである。
本音と建前、それをうまく使い分けるのが日本人独特の知恵である。今ここでの脈絡から言えば、本音は各豪族の祖神。各豪族は本音で祖神に祈りを捧げながらも、建前としては、天皇の祖神、天照大神に祈りを捧げ、天皇に忠誠を誓うのである。これによって、朝廷の権威は揺るぎないものになる。不比等は、何と巧妙な社会構造を考え出したものであろうか。これが、河合隼雄の言う中空均衡構造である。

中空均衡構造については、私の論考があるので、それを紹介しておきたい。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-8dca.html



日本の歴史と文化の心髄は、違いを認めるところにある。そこが一神教の国と違うところである。その源流には中臣神道があり、さらに遡れば、台与の祭祀に辿り着く。台与の祭祀のいちばんの特徴は、祭祀道具が銅鏡であるということだ。少し銅鏡について考えて見たい。

奴国との争いが生じた時、魏の皇帝は、親魏倭王卑弥呼に黄幢を授与した。邪馬台国は、それを旗印に、多分、狗奴国の周辺の豪族を糾合し、狗奴国を降伏せしめることができた。魏の権威は、絶大であったと思う。したがって、魏の皇帝から下賜された銅鏡も権威の象徴であったと思う。台与が祭祀の際に使った銅鏡は、威信財としての性格も持っていたのではなかろうか。
台与は、狗奴国も含めて、倭国のクニグニに威信財としての銅鏡を積極的に配ったと思う。
銅鏡のもう一つの用途は、いうまでもなく本来の用途、すなわち祭祀である。では、これから、台与は銅鏡を使って何を祈ったか、それを考えてみよう。

台与の祭祀の道具は鏡。卑弥呼の祭祀の道具は銅鐸。しかし、道具が異なるとはいえ、それを使って祈る対象としての神や祈る内容は、卑弥呼との場合も台与の場合も同じであった思われる。まず、何を祈ったか? 私は、豊穣を祈ったのだと思う。これは旧石器時代や縄文時代における祈りと断絶はない。特に弥生時代に稲作が行われるようになってからは、富をもたらすものは稲作であり、富の蓄積によってクニグニができていった。したがって、各豪族が豊穣を祈るのは当然であって、私は、卑弥呼も台与も豊穣を祈りながら、クニグニの繁栄を祈ったのだと思う。だとすれば、卑弥呼や台与の祈った神は、大地の神・地母神であり、天にまします神・太陽神であったと考えられる。これを旧石器時代や縄文時代でいえば、前者は「炉」すなわち「ホト神さま」であり、後者は「石棒」すなわち「柱」である。である。私は、日本伝来の神をそのように捉えているので、神に対する断絶はなく、今に続いていると考えている。祭祀の道具は変化してきている。しかし、基本的に神道の祭祀道具な「鏡」である。その源流に台与の祭祀がある。伊勢神宮も、基本的には、「ホト神さま」と「柱」に対する信仰に支えられている。このことについては、かって、少し書いたことがあるので、ここに紹介しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/maramyo02.html

中国でも祭祀道具として使われていたようであるが、日本に銅鏡が伝わると、それが権威の象徴として使われ始めるとともに、太陽信仰のための祭祀道具となった。太陽信仰は日本の旧石器時代からの祭祀と同じである。そういう大きな流れの中で、台与の祭祀では、太陽神という具象的な神が作り出された。それがやがて天照大神という皇祖神に変身するのであるが、その源流に台与の祭祀があることの歴史的意義は大きい。

以上第2節の要点を述べたが、第7章の全体は次の通りである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf

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