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2013年7月18日 (木)

邪馬台国と古代史の最新 第6章第1節

邪馬台国と古代史の最新

第6章 応神天皇と秦氏

第1節 物部氏の発祥と行く末

邪馬台国の時代から大和朝廷の時代を通して、いろいろとちらつくのが物部氏である。蘇我氏は傍若無人にも天皇をないがしろにしたケシカラン氏族だが、物部氏は常に女王や天皇に忠実に仕えた廷臣であった。私は、物部氏を廷臣の中心的な実力者として高く評価しているので、まず応神天皇の説明に入る前に、物部氏の説明をしておきたい。

物部氏については、雄略天皇の時代に水軍と関係のある伊勢の豪族を征討したこと、また継体天皇の時代に水軍500を率いて百済に向かったことなどが伝承されており、物部氏が水軍をその傘下におさめていたことは容易に想像がつくが、学習院大学の黛(まゆずみ)弘通教授がその点を別途詳しく述べておられる(「古代日本の豪族」、エコールド・ロイヤル古代日本を考える第9巻、学生者)。以下に、その要点を紹介しておきたい。黛(まゆずみ)弘通教授の考えは次の通りである。すなわち、
『 「旧事本紀」の中の「天神本紀」には、ニギハヤヒが降臨するときにつき従った神々とか、そのたもろもろの従者のことが詳しく出ているが、それによると、つきしたがった神に海部族(あまぞく)である尾張の豪族がいるし、つき従った従者に、船長と舵取りと舟子がそっている。物部氏が航海民、海人族と関係があったのは間違いがないのではないか。物部氏系統の国造を詳しく調べると、物部氏は瀬戸内海を制覇していたことが推定される。太田亮氏は物部氏発祥の地を筑後川流域とされているが、大分県の竹田市付近が発祥の地ということも考えられる。「日本書紀」に豊後の直入郡の直入物部神(なおりのもののべのかみ)というのと直入中臣神(なおりなかとみのかみ)というのが出てくる。』・・・と。

私は、何度も大野川に出かけていって、古代から大野川は水運で瀬戸内海と密接に繋がっていることを認識した上で、物部氏の本貫地は大野川の上流域ではないかと直観していた。したがって、自分の直観を信じ、黛(まゆずみ)弘通教授の見解にしたがいたいと思う。
 ところで、東国において、中臣氏は物部氏の勢力を乗っ取ってしまうのであって、「日本書紀」で中臣氏と物部氏の祖先が一体のものであったと思わせぶりに書くことは、少なくとも物部氏についての記述が正しいことを伺わせる。もともと物部氏は大野川の舟運を握っていたのではないかと思う。大野川の舟運を握る一族 であれば、それは発展的に瀬戸内海の航海権を制覇してもおかしくないし、いずれは伊勢や尾張、そして遂にはその覇権は東国にも及んだのではないか。物部氏 なくして東国の制覇はあり得なかったと考えては考え過ぎであろうか。

第2節「応神天皇の大和入り」も含めた第6章全体は次の通り。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai06.pdf

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