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2013年7月29日 (月)

最終章第2節(1)

邪馬台国と古代史の最新

第10章 邪馬台国は近江だ!

第2節 魏志倭人伝の比定地

1、第二の奴国

倭国のクニグニを比定する一つの鍵は「奴国」である。この国名は2回出てくる。これは最初に出てくる奴国とは別の国である。最後に出てくる奴国は、 倭国の境界の尽きる所である。


陳寿は、倭国のクニグニの説明をまず九州からはじめて、順次東のクニグニ(22カ国)の名前を記述して、その最後に二番目の奴国が出てくる。したがって、二番目の奴国とは、いちばん東にあることとなる。もう一つの大事なことは、陳寿の記述する倭国の数は30カ国である。その内、最初に里程を説明している九州方面のクニグニは8カ国である。その後、邪馬台国を含めて記述がつづくが、そのクニグニの数は22カ国である。二番目の奴国が一番目の奴国と異なる別の奴国であると考えないと、倭国のクニグニの数が30カ国にはならない。最初に出てくる奴国と最後に出てくる奴国は相異なる国である。別々の土地を同じ名称で呼ぶ現象を「別地同称」というが、こういう例はよくあることらしい。

この二番目の奴国の比定地を考える場合の一つの視点として、銅鐸祭祀の問題がある。 銅鐸は、従来は近畿地方を中心に出土し、九州からは出土例がなかった為、北九州地方の銅矛銅剣文化圏と対比されて論評されてきた。昭和初期に東大の哲学者・和辻哲郎が、九州を「銅剣・銅矛文化圏」、近畿地方を「銅鐸文化圏」と区分して以来、弥生時代はこの二つの地方で文化が対立していたように思われてきた。 しかし近年、近畿以西の地域からも銅鐸やその鋳型が出土し、銅鐸は必ずしも近畿圏に特有の青銅器ではない事が分かってきた。 平成10(1998)年、弥生時代の大規模環濠遺跡として名高い吉野ケ里遺跡から、鈕(ちゅう)を下に向け、逆立ちした形で埋められた銅鐸が出土した。これはそれまでに発見されていた鋳型と文様などの特徴が同じで、ここで製作だけでなく祭祀も行われていた可能性が強くなった。また製作技法についても、九州と近畿で同時期に同様の技法が用いられている事例も出現し、数は少ないが九州にも銅鐸があったことが明らかになった。現在、九州における銅鐸出土例は近畿地方に比べて圧倒的に少ないが、このような事例が出現したことで、和辻説が見直しを迫られている事は間違いないし、銅鐸も北九州がその起源であるという主張は、ますます看過できないものとなってきた。

したがって、私は、卑弥呼が治める倭国は、畿内を中心としつつも九州を含む西日本であると考える。東は尾張はもちろんのこと駿河まで含む。
さて、ここがいちばん判断の難しいところだが、魏志倭人伝で倭国として記述されている30カ国の中に、卑弥呼の行う祭祀とは相異なる祭祀を行っているのではないかと思われる国が二カ国ある。ひとつは狗邪韓國であり、もう一つは二番目の奴国である。狗邪韓國の比定地はおおむね定まっているので、問題になるのは二番目の奴国である。狗邪韓國とこの二番目の奴国では銅鐸が出土しなく、多数の翡翠(ひすい)の原石やその加工品としての勾玉(まがたま)が出土する。

古代、翡翠というのは強い霊力を持つと考えられていた。 古代人は円形という完全な形をあらわす玉を「たましい(霊魂)」=精霊を象徴するものと考えたが、特に、勾玉(まがたま)はまるい霊魂が飛び回っている姿をあらわすもので特にこれが重んじられた。天皇に伝わる三種の神器の八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま)もそうである。卑弥呼は銅鐸によって祭祀を行うシャーマンだが、二番目の奴国には勾玉によって祭祀を行うシャーマンがいた。それが 古志の国の「奴奈川姫」 である。私は、奴奈川姫は卑弥呼にも匹敵するシャーマンであったと思う。だから、記紀には大国主命(おおくにぬしのみこと)の求婚相手・沼河比売( ぬなかわひめ)として登場するのである。奴奈川姫と 沼河比売( ぬなかわひめ) とは同一人物である。

そして、奴奈川姫は、 建御名方命を産み、建御名方命の母となる。

以上、私の考えでは、奴奈川姫の治める古志の国こそ、二番目の奴国である。奴奈川姫はの翡翠は、日本列島すべての地域に配られたし、狗邪韓國にも多数配られているのである。「卑弥呼に匹敵するシャーマン・奴奈川姫」と言ってもけっして言い過ぎではない。

実は、私の説「古志の国=奴国」については、さらに強力な論拠がある。それは、卑弥呼の魏王への献上品に翡翠が含まれていることである。私は、水銀朱や真珠と同等あるいはそれ以上に貴重な献上品であったと思う。その産地を陳寿は魏志倭人伝に書かない訳がない。したがって、古志の国はどういう名前で呼ばれたかは別として、必ず記載されている筈だ。それが「女王境界所盡」の国・奴国である。
であるが、その源流に台与の祭祀があることの歴史的意義は大きい。
この最終章は、私が「邪馬台国は近江だ!」と考える根拠を書いたものです。もちろん、今ままで縷々述べてきた第1章から第9章までの内容が最終章の背景としてある訳ですが、この本の最終結論はこの最終章です。もっとも大事な章ですので、第1節から第3節までその内容ごとに分類しながら、紹介していきたいと思います。しかし、一気に最終章全体を読みたい方のために、章全体をアップしておきます。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai10.pdf

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