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2013年7月17日 (水)

邪馬台国と古代史の最新 第5章第4節

邪馬台国と古代史の最新

第5章 葛城王国

第4節 葛城氏の衰退

記紀では、葛城王朝は崇神天皇によって滅ぼされたとなっているが、私は、何度も申し上げているように、崇神天皇は架空の天皇であると考えている。では、史実はどうなのか? この節はその説明を行いたい。

継体天皇に葛城氏は反対して、葛城氏は遂に蘇我氏に寝返りを打たれて没落することになる。
九州での磐井氏の出現は、畿内の豪族たちの考えを大きく変えるきかっけとなった。北九州が大和政権に反発する地域 になることは、当時としては唯一鉄の輸入窓口を押さえられることであり、大和政権の維持は出来なくなる。これをどうするか、多くの畿内豪族は、この一点で 意見が一致した。つまり、磐井氏に対抗できる強力な天皇が必要になったのである。 継体の母は「振媛」で、振媛の母親は加羅国王の娘といわれている。つまり、継体は、父は応神天皇の血を引く畿内豪族・息長氏で、母は加羅国王の血 を引いていたので、新羅と対抗できると見られたのである。

振媛の母親が伽耶国出身というのは黒岩重吾の説であるが、私もそう思う。記紀によると、継体天皇は応神天皇5世の子孫であり、その応神天皇は新羅系である。この点については、藤原氏の権威とは関係しない部分であるので、私は、応神天皇や継体天皇に関する記紀の記述にごまかしはないと思うのである。

ちなみに、「振媛」のことについては、すでに第4章「近江王国」のところで少々書いたので、もう一度それを読んでいただきたい。「第3回世界水フォーラム」が平成15年3月16日から開会され、 182の国・地域からに24,000人以上の人達が参加した。 その開会式において、皇太子殿下(第3回世界水フォーラム名誉総裁)が「京都と地方を結ぶ道」と題し、基調講演をされ、琵琶湖の舟運についても触れられた。今の天皇家は、継体天皇の直系であり、そういう意味では、「振媛」が祖先でもあり、琵琶湖の白鬚明神・猿田彦とも深い繋がりを持っている。私は、天皇家と琵琶湖との奥深いところでのご縁を思わざるを得ない。私は、邪馬台国近江説なので、琵琶湖を中心とした地域がなみなみならぬところであると皆さんに感じていただければ、とりあえずのところはそれで結構。邪馬台国近江説の最新情報は最終章で詳しく述べる。

継体天皇の大和入りは、大伴・物部・蘇我・巨勢などの豪族の合議によるものであったが、平群氏、三輪氏、葛城氏は大反対であった。さあ、そこで問題なのは、 なぜ蘇我氏は継体天皇側についたのかということだ。蘇我氏が新羅系ということもあるかもし得ないが、実は、次のような事情もあったのである。

越前の国・三国の坂中井は、九龍川の下流域に位置し交通の要所であった。「国造本紀」によれば ここに三国(みくに)の国造が置かれ、蘇我氏一族の若長足尼(わかながのすくね)がその任にあたっていた。蘇我氏が、継体天皇の嫡子である欽明天皇の時代に台頭してくる豪族であることを考えると、この蘇我氏と継体天皇の結びつきはおもしろい。

蘇我氏は、そのために葛城氏を裏切るのだが、ともかくそうした経緯を経て、十数年後に継体天皇は、葛城からはほど近い「磐余の玉穂宮」で即位する。そして、その2年後に継体は 新羅・磐井の連合軍と戦っている。そのころの磐井は、勢力を伸ばし、北九州をほ
とんど制圧していた。一方、朝鮮半島では新羅が倭国と関係の深い加羅を併合し始めていた。継体天皇はこれと戦ったのである。いわゆる磐井戦争は、畿内からは物部氏、大伴氏などの軍事力が主力であった。戦争は1年ほど続き、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)が御井(みい)で磐井を破った。この段階で、大和朝廷は、天皇を中心にした、物部氏と蘇我氏の二大巨頭体制ができ上がる。葛城氏は完全に衰退してしまうのである。葛城氏に蘇我氏が取って代わったということだ。かくて、葛城の主は蘇我氏となったのである。
蘇我氏については、第8章で詳しく述べる。

第1節「葛城という所」、第2節「葛城山麓の遺跡」、第3節「王朝交代説」も含めた第1章の全体は次の通りである。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai05.pdf










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