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2013年7月10日 (水)

邪馬台国と古代史の最新 第4章第2節

邪馬台国と古代史の最新

第4章 近江王国

第2節 琵琶湖周辺の豪族

すでに述べたように、古代から日本海ルートで大陸と交流する強大な力を持った丹後王国があった。それは、海部氏であり、日本海の「海の道」をかなり広範囲に行き来していたものと思われる。
渡来人は、朝鮮半島からのものが圧倒的に多いが、黒潮にのって南九州にやってきた。そのことを示す遺跡や伝承は南さつま市(合併前の加世田市)のものが有名であるが、確かに「海の道」が太平洋にも日本海にもあったのだ。朝鮮半島における縄文時代の遺跡から糸魚川産の翡翠が数多く出土しているので、日本列島と朝鮮半島との交易があったことは明らかである。日本海の「海の道」でもあったが、「翡翠の道」でもあった。そして、その「翡翠の道」は枝分かれして、日本列島の各地に続いていた。当然、琵琶湖の水運も盛んであったと思われる。
また、琵琶湖周辺の古代豪族を見ても、琵琶湖周辺には大和朝廷とは浅からぬ繋がりを持った豪族がひしめいていたようである。まず、伊香氏をあげねばなるまい。伊香氏は湖北の名族である。伊香氏とともに強大な勢力をもって いたのが息長(おきなが)氏。息長氏の本拠も伊吹山西麓、現在の近江町あたりである。さらに、湖北最大の規模を誇る茶臼山古墳の主ともいわれる酒の祭神・ 坂田氏(坂田郡の地名)や犬上氏(犬上郡)、鹿深氏(かふか→甲賀郡)など、琵琶湖周辺には古代豪族に由来する地名が非常に多く残っている。これは地名として残っている訳ではないが、三尾氏のことに触れないわけにはいかないので、少々長くなるが、「三尾氏と縁の深い白鬚明神(猿田彦)」のことに触れておきたい。
滋賀県高島市に白鬚神社というのがある。白鬚神社の祭神は「猿田彦」だが、この神社は社伝によると垂仁天皇の25年、倭姫命(やまとひめのみこと)により社殿を創建したのに始まる。「猿田彦」が祭神であるのも容易ならざるところがある上に、倭姫命の創建だとすれば、この白鬚神社というのはひょっとしたら元伊勢籠神社、すなわち丹後王国との繋がりがあるかもしれない。白鬚神社は誠に謎めいた神社であるが、その由緒書き(詞書第四段)に、「 土俗、其神を祠りて、神社をたつ。老翁の貌を現し給へは、白鬚の神と申しぬ。亦比良の神と申は、かの山のふもとに跡を垂ぬへきなり。浄御原天皇、殊に尊崇したまひ、叢祠を増造り給へり。」とある。土俗とは地元の豪族のことであるが、当時の地元の豪族とは三尾氏であるから、三尾氏が、白髯を生やした猿田彦翁が琵琶湖に現れた、その瑞祥(ずいしょう)を見て、白髭神社を建立したらしい。

継体大王の父親・彦主人王と振媛が住んでいたといわれるのが、近江国高島郡三尾だ。三尾は滋賀県北西部に位置する高島市南部の旧高島町および安曇川(あ どがわ)町にあたると考えられ、現在も三重生(みよお)神社や三尾神社、水尾(みお)神社など「ミオ」の読みが残る神社が存在している。そして、この地域には、彦主人王と振媛に関わる遺跡が多数存在するのである。

『日本書紀』によると、「父・彦主人王は母・振媛が顔きらきらして、大変美しい人であることを聞いて三国(みくに)の坂中井(さかない)(福井県坂井 市)へ使いを送り、近江国高島郡三尾(みお)(滋賀県高島市)の別業(なりどころ)(別荘)に召し入れてお妃(きさき)とした。」と書かれている。2人 は、滋賀県高島市の三尾で結婚し、その後に生まれたのが男大迹王(おほどのおう)(後の継体大王)である。
男大迹王が生まれて間もなく、彦主人王は亡くなってしまう。そこで振媛は「私は今遠く故郷を離れてしまいました。ここには親類縁者もなく、私一人では養 育することができ
ません。越前国高向(たかむく、坂井市丸岡町高田付近か)に帰って親の面倒を見ながらお育てしたい。」・・・と言い、幼い男大迹王を連れて高向 に帰った。
坂井市丸岡町高田には高向神社が建てられており、この付近に高向の宮があったと推定される。継体大王は、『日本書紀』によると西暦507年に58歳で即位したとあるので、逆算すると西暦450年前後に越の国(福井県)に入り、即位するまでの50年余りを過ごしたことになる。


さて、白鬚明神は別名「比良明神」という。その「比良明神」のことについては、かって、私のホームページで「 元三大師と比良明神 」と題して少々書いたことがある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hiramyou2.pdf

その中から、この一連の論考と関係のある部分を抜き書きしておこう。
聖武天皇が東大寺を建立するとき、大仏さんの金メッキに使う金が足らなくなって、困った。そこで良弁に金の取得を命じた。天皇の命令である。良弁は必死になって金剛蔵王に祈ったところ、瀬田の山(現在の石山寺の奥)に行き必死になって祈れという夢のお告げがあった。そこで、明恵は瀬田の山に入り、必死になって祈っていると、巨石に坐って釣りをしている一人の老翁が現れた。どなたかと聞くと、「比良明神」だという。そして、その老翁が言うには、ここで必死になって祈りを捧げおれば、この地は「如意輪観音霊応の地」だから、金剛蔵王の霊力に、観音の霊力と私こと「比良明神」の霊力が加わって、きっと願いはかなうだろうと。そこで、良弁は「草の庵」を建て、日夜、観音経を唱えた。そうしたところ、陸奥の国から百済の人「敬福」が名乗り出て、大仏造営に黄金900両(現在の約3.4キロ)を献上した。

「石山寺」の「いわれ」は以上であるが、ここで私が言いたいのは、高島市の白鬚神社の霊・「比良明神」が石山寺に現れて、天皇を助けたということである。「比良明神」が釣り糸を垂れたという巨石は、「明神釣垂岩」という。多分「磐座」であろう。そして、その磐座・「釣垂岩」は、石山寺と高島市の白鬚神社と延暦寺の三カ所に現在も存在する。そこは一般の参拝客が祈るところではなくて、然るべき関係者が必死になって祈りを捧げる場所である。延暦寺としては、京の都を守るため、「比良明神」の霊力の力も借りて、祈りを捧げなければならない。そういう宿命にあるのである。

以上で「三尾氏と縁の深い白鬚明神(猿田彦)」のことについては終わるが、いずれにせよ、琵琶湖周辺には、古代において大和政権に優るとも劣らない勢力を持った豪族たちがひしめいていたのである。

以上のような観点から、丹後王国や近江王国のあった頃には、琵琶湖の水運は盛んであり、丹後王国と近江王国とは深く繋がっていたと思われる。血縁的にも結ばれていたかもしれない。

第2節「琵琶湖周辺の豪族」の画像なども含めた詳しい内容ならびに第1節を含めた第1章の全体は次の通りであるので、次を是非ご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai04.pdf

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