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2013年7月 7日 (日)

邪馬台国と古代史の最新 第4章第1節

邪馬台国と古代史の最新

第4章 近江王国

第1節 伊勢遺跡

伊勢遺跡については、詳しい内容が守山市のホームページに掲載されている。その要点をここに転記させていただく。

昭和56年(1981年)、滋賀県守山市伊勢町、阿村(あむら)町、栗東市野尻(のじり)にかけて、弥生時代後期の巨大な集落遺跡が広がっていることがわかりました。弥生時代後期の建物跡には、竪穴住居と掘立柱建物の2種類の建物跡があり、竪穴住居の平面形には円形と方形そして五角形の3種類があります。また、掘立柱建物の規模には大小が見られ、ここでは床面積が30㎡以上のものを大型建物と呼んでいます。

1. 弥生時代後期の巨大集落

弥生時代後期の集落としては佐賀県吉野ヶ里遺跡、奈良県唐古・鍵遺跡などと並んで国内最大級の遺跡です。近畿地方の集落遺跡は、中期の巨大環濠集落が解体して、小さな集落に分散居住することが特徴で、後期になって伊勢遺跡のように巨大化する集落は稀です。
2. 次々と発見される大型建物
平成13年には、円周状の建物群の外側で床面積が185㎡を測る大型竪穴建物が発見されました。この建物の壁にはレンガ状の焼物が置かれ、床が赤く焼かれており、特殊な建築技術がみられました。佐賀県吉野ヶ里遺跡、栗東市下鈎遺跡で数棟ずつの発見例はありますが、伊勢遺跡では多種多様な大型建物が12棟も集中しており、国内に類例を見ません。

3. 弥生の国の中心部を考える遺跡
伊勢遺跡は、紀元140年~180年頃にあったという倭国大乱の時代に最盛期を迎える遺跡です。
魏志倭人伝には卑弥呼の住まいには「居処、宮殿、楼観、城柵」などの施設があると記されていますが、伊勢遺跡は倭人伝に記された卑弥呼の住まいを彷彿とさせます。伊勢遺跡は国の中枢部の構造を探ることのできる遺跡として高い評価を受けています。

4. 円周状配置の大型建物
独立棟持柱があり、心柱を持つ点は、伊勢神宮本殿にも共通するもので、建築学の宮本長二郎氏は、伊勢遺跡で次々並んで発見される祭殿は伊勢神宮本殿の創立に深くかかわりをもつ遺跡と評価しています。 

5. 東西日本の結節点
近畿地方では弥生時代後期の大型建物のある遺跡は少なく、伊勢遺跡の特異性が際だっています。
伊勢遺跡から東へ約8km離れた野洲市大岩山では24個もの銅鐸が出土しています銅鐸が埋められた時期は弥生時代の終わり頃と推定され、伊勢遺跡の衰退期に重なっています。

伊勢遺跡の西約1.7kmには栗東市下鈎遺跡があり、弥生時代後期の棟持柱をもつ大型建物が二棟発見されています。二つの建物は独立棟持柱をもつ大型建物です。下鈎遺跡では銅鏃や銅釧、銅滴などが出土していて青銅器を生産していた遺跡と考えられています。
 伊勢遺跡から北西約2km離れた守山市下長遺跡は弥生時代末から古墳時代前期に発達する遺跡です。下長遺跡でも弥生時代末の独立棟持柱をもつ大型建物が1棟みつかっています。下長遺跡では古墳時代前期に首長居館が造営され、儀仗などの威儀具が出土しており、古墳時代の王がいたと推定されています。川跡からは準構造船が出土しているほか、全国各地の土器が見つかっています。琵琶湖や川を利用して遠隔地と交流していたことが想像されます。
 伊勢遺跡、下鈎遺跡、下長遺跡の遺跡群は国の成り立ちや、強大な権力をもつ王の誕生を探ることのできる貴重な遺跡群と言えるでしょう。

伊勢遺跡について守山市のホームページの要点を転記させていただいたが、画像なども含めて詳しい内容ならびに第2節「琵琶湖周辺の豪族」は次の通りであるので、次を是非ご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai04.pdf

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