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2013年5月14日 (火)

良弁について

1、良弁について

良弁と物部氏や秦氏とを結びつけるもの、そのキーワードは「鷹」である。この本の題名は「四天王寺の鷹」となっているが、そもそも「鷹」とは何の象徴なのか? 「四天王寺の鷹」、「英彦山の鷹」、「香春の鷹」、「鷹と宇佐」、「鷹と鉱山」、「鷹巣山と鉱山」と言葉が出てくるが、谷川健一は、「鷹」は鉱山や鍛冶(かじ)の象徴であって、物部氏と秦氏を繋ぐものは「鷹」、すなわち鉱山や鍛冶である。しかし、何故「鷹」が鉱山や鍛冶の象徴なのか? 金勝族(こんぜぞく)というのは、むかし、朝鮮半島からの渡来した一族で、銅の採掘や青銅の細工を生業としていた技術集団のことであるが、良弁は 金勝族(こんぜぞく)を統率していたらしい。谷川健一はそう考えている。
私は、今まで、良弁のことをいろいろと勉強してきたが、このたび谷川健一の良弁論を読んで目から鱗が落ちた思いである。

京都駅の南方40kmぐらいの所に、井手町という歴史的に由緒のある地域がある。そこの伝承に「良弁と鷹」の話がある。『 良弁は幼児の頃関東地方で「鷹」にさらわれ、現在の井出町多賀地区に落とされた。そして、良弁は多賀の里人の手で養育された。』というのだ。 東大寺要録の記事と照応するので、どちらが元になっているのかわからないが、良弁が多賀氏と繋がっているのは間違いないだろう。 多賀氏は金属技術者の集団であった。井手町には、志賀の豪族・多賀氏が祀る神が(多賀神社の神)が祀る高神社がある。 井手の多賀は、どうも志賀の豪族・多賀が継体天皇とともに井手の地に来たものらしい。
金属技術者である多賀一族は、常陸にも移住しており、藤原一族である「由比の長者」と繋がっていたよう だ。「由比の長者」の妻は、多賀氏であり、その子・良弁は母方の井手の多賀氏に預けられたのではないか。「由比の長者」については、かって一生懸命勉強したことがあるので、それをここに紹介しておく。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/amanawa.html

谷川健一は、「良弁は世間師であって、良弁が聖武天皇に接近し、巧みに取り入って着々と地歩を築いたのも、彼の経験にもとづく実務的な才覚が大きな力を発揮した。」・・・と書いているが、私は、井手町に本拠地を構えていた橘諸兄と良弁との関係がまず先にあったのでないかと思う。

なお、私は、そのことをまったく知らなかったのだが、谷川健一によると、良弁は笠置寺の千手窟にこもり、秘法を修したのだという。笠置寺の創建については諸説あって定かでないが、『笠置寺縁起』には白鳳11年(682年)、大海人皇子(天武天皇)の創建とある。笠置寺は、井手町とは目と鼻の先にあり、良弁が修行するにふさわしい。現在、笠置町と井手町を結ぶ線の右側に和束町(わづかちょう)があり、左側に木津市がある。木津市は木津川が平野部に出るところ、京都から奈良に入る場合の玄関口みたいなところである。そこに恭仁京がある。いうまでもなく井手町の橘諸兄の勢力圏である。その恭仁京の北東方面(和束町)に安積親王(あさかしんのう)の墓がある。安積親王は聖武天皇の長男であり、当然、皇太子になるべき人であったが、不幸な死に方をしたのである。この地域は聖武天皇とたいへん深い因縁のある地域であるが、その地域が橘諸兄の勢力圏であったということは、聖武天皇と良弁との繋がりを考える上で、極めて重要である。そのことは、偉大な天皇・聖武天皇を理解する上でも十分認識しておいた方が良いだろう。良弁は、その橘諸兄のバックアップがあって、聖武天皇のブレインとなったのである。その良弁が鉱山と鍛冶の技術集団を統括して、あの大仏を建立した。良弁のために実際に活躍したのは、秦一族であった。秦一族のもともとの本拠地は遠賀川流域の香春(かわら)地域であり、そこは大きな銅鉱山のあったところである。大仏の建立には香春の銅が大量に使われた。また、大仏は金メッキが施されたが、その膨大な金は、良弁が秦一族を通じて東北地方で確保したものである。
良弁のことについては、谷川健一は、「四天王の鷹」で縷々書いているので、是非、じっくり読んでほしい。良弁と秦氏との深い繋がりを理解することができる。

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