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2013年5月16日 (木)

日本に「行き過ぎ」はない!

「中空構造」と「ゆりもどし」

 日本神話の構造は、基本的にはトライアッド構造でだが、それは「グウチョキパー構造」ではなくて、二つの相対す るものとその中間的の存在の・・・トライアッドである。その中間的存在は、理想をいえば、無為であればあるほどいい。無為を理想とする思想、それは老荘の思想でもあるのだが、河合隼雄は、そういう思想は日本にも古来からあった世界観、宗教観であると言っている。河合隼雄はそういう無為の存在を中心としてトライアッドを「中空均衡構造」と呼んでいる。アメノミナカヌシという無為の中心が、すべての創造の源泉と考えられている。河合隼雄もいうよう に、自然とともに生きる民族の理想とする国家構造はトライアッドな中空構造である。そこで、私は、トライアッドな中空均衡構造(以下、中空構造と呼ぶ)というものを念頭において、これからあるべき理想の国家構造というものを検討することを提唱したい。つまり、私は、今、「劇場国家にっぽん」ということでこれからのあるべき日本の姿を提唱しているが、その「劇場国家にっぽん」の国家構造は、トライアッドな中空構造である。皆様方から大いに問題点の指摘を受け、考え直すことも多かろうと思うが、とりあえずの提案としては、トライアッドな中空構造というものを考えてみたい。
  河合隼雄は、その著「神話と日本人の心」(2003年7月18日、岩波書店)の最終章で、「日本神話の構造と課題」と題して今後の日本の進むべき方向を模索している。
そして、結論的には、次のように言っている。
 『ここで、われわれが課題とするのは、言うなれば、中心統合構造と中空均衡構造の両立ではないだろうか。両立しがたいものを両立させるには、どの ようなモデルが考えられるか、という疑問が生じてくる。これについて、筆者はずいぶん長らく考え続けてきたが、おそらく今世紀においては、ひとつのモデル やひとつのイデオロギーによって、人間について、世界について考えるということは終わったのではないかと思う。』・・・と。
 また、『中空均衡構造と中心統合構造の併存とは、両者を無理して「統合」することを試みず・・・云々』とも述べているが、河合隼雄は、中空均衡構 造で象徴される日本の生き方と中心統合構造で象徴される欧米の生き方のどちらに偏することもできないと考えており、その考えを両者を「統合」するモデルやイデオロギーはもはや見つからないと考えているのである。
 河合隼雄は、京都大学の創立100周年の記念講演会で特別講演をして、これからの時
代、私たちは「矛盾システム」を生きていかなければならないと述べた。「矛盾システム」を生きる。良い言葉である。私もそうだと思う。現状は確かにそうだと思うが、将来はどうか。河合隼雄は、中沢新一の「モノとの同盟」という考え方や「光と陰の哲学」をどう見ているのか。その点を聞いてみたいところだが、私は、未来に対する希望はけっして捨ててはならないと思う。私は、「矛盾システム」を生きながら何とかそれを乗り切る知恵こそ大事で、それが民族としての英知であると思っている。民族としての英知、それは「歴史感覚」からしか学び得ない。民族としての英知は必ず存在している。見えないだけだ。しかし、「歴史感覚」をもってよくよく見れば・・・、見えないものが自ずと見えてくるのではないか。今必要なのは、「矛盾を乗り切る平衡感覚」である。それは「歴史感覚」そのものである。私も、私なりの「歴史感覚」から、今の「矛盾システム」は何とか乗り切れるのではないかと直感している。私はよく「両頭截断」ということを言うが、それは 「矛盾システム」を何とか乗り切ろうということである。「矛盾システム」を乗り切るところに新しい発展がある。中沢新一は、人類最古の哲学としての「神話」にスポットを当て、「モノとの同盟」ということを言っている。私は、中沢新一など素晴らしい学者の手によって、必ず未来の地平は拓けてくるものと考えている。
 日本の国家構造としての中空均衡構造は、誰がつくったものでもない。天皇自らがお作りになったものでもないし、権力者の誰かが作ったのでもない。特定の人はいないのである。天皇という「権威」は 日本の永い歴史の中で出来上がってきたものである。もちろん、象徴天皇というものを法律制度的に確立したのは、明恵の教えを受けた北条泰時だが、聖武天皇の時代も、平安時代も中空均衡構造の力「揺り戻し現象」が起こっている。
それらは民族性によるものである。日本の「歴史と伝統文化」の心髄は、「違いを認める文化」にある。だから、多神教なのだ。このことは極端を嫌い、左に傾けば右への「揺り戻し」が起こるのである。戦時中のように、軍部による強烈な力が働かないかぎり、日本という国は極端に走らないのである。これは民族性としか言いようがない。

 河合隼雄は、さらにこう述べている。『現代日本人の課題は、神話的言語によって表現
するならば、遠い過去に棄て去られたヒルコを日本の神々のなか に再帰させること、と言えるだろう。しかし、それはほとんど不可能に近いことだ。少々の対立があっても全体に収める中空均衡構造に収まらなかったからこ そ、ヒルコは棄てられたのだ。ヒルコを不用意に再帰させると、中空均衡構造は壊滅してしまう。』・・・と。ヒルコは不用意に再帰させるわけにはいかないが、何とか中空構造をある程度温存しながらヒルコの再帰を企てれないかと、河合隼雄は考えている。しかし、私にいわせれば、ヒルコは、好むと好まざるにか かわらずもうとっくの昔に再帰している。今や日本でも思いのまま自由奔放にのさばっているのではないか。ヒルコの詳細については、河合隼雄の著書「神話と日本人の心」を見てもらいたいが、要するに、ヒルコとは、中空構造そのものに反する神のことで、アマテラスの対極にある男性の太陽神のことである。河合隼雄のイメージとしては、多分、市場原理主義或いは科学万能主義の神ということだろう。
 まあ、ヒルコがどのような神であってもかまわない。それによって日本の中空構造が壊
滅することはない。断じてない。したがって、ヒルコの再帰などを企てる必要はさらさらない。というより、もうすでにとっくの昔に市場原理主義や科学万能主義は世界を席巻しており、日本もその猛威にさらされている。それ でも日本の中空構造はびくともしていない。今後とも壊滅する心配は少しもないと思う。

 現在の日本の統治構造は、象徴天皇を中心に左右に統治体と被統治体が控えている構造だ。したがって、我が国においてどんな行き過ぎが起ころうと、河合隼雄のいうところの「ゆりもどし」が必ず起こるのである。それが「中空構造の原理」である。

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